宮沢りえが切り拓く世界。7人の会話劇で挑む 新たな自分を見出す表現とは?
自分の新たな面を見いだす
直近の舞台作品でいえば、『アンナ・カレーニナ』での宮沢が作品を通してアンナであり続けたときの表情や声は記憶に新しい。そこで舞台に立つとき、そしてカメラの前に立つとき、自分ではない誰かを演じているときの心境についても語ってくれた。 「私は、演じるというよりは、ある作品のある役を自分というものを通して生きることには、映像も舞台も変わりがありません。ロシア人になれますし、どんな時代にも飛んでいけるという自由があります。もちろんプレッシャーはありますが、それ以上に作品を通して時代も国境も越えて生きることができるのは、希有な仕事だと思います。私にとって演じるということは、別の人間を演じるのではなく、私の中にある別の面だと思うようになってから、芝居をしている時間もとてもリアルになりました。その役を演じることで自分を表現している感覚なんです。『分人のすすめ』という本を読んで腑に落ちたことなんですが、今は気持ちが熟成して、その感覚を面白がれるようになってきました。今までに見たことのない自分に出会いたいという気持ちが欲としてありますし、特に今回のKERAさんのお芝居は、強烈な個性を持った人たちの中で自分という“個”をどう生かせるのかを考えるのが、すごく刺激的です。素敵な女優さんたちがそれぞれ持ってくるアイディアを皆でミックスして形にしていくのが楽しみですね。劇場入り直前に台本ができあがるという“KERAスタイル”は、私にとって初体験なので、その怖さは正直言ってありますが、腕と心のある役者さんたちが揃っているのは心強いです」
言葉が人生を潤す
今回の『骨と軽蔑』の世界観を物語るビジュアルには、「居並ぶ墓石の絵を前にして楽しそうに笑う女たち」というイメージが表現されている。KERAの言葉によれば「辛辣なコメディの会話劇」が描かれるという。宮沢はどんなイメージを抱いているのだろう。 「安易に想像することはしていませんが、女性同士の生々しいやりとりが繰り広げられるのではないでしょうか。骨になるということは、死を意味していますし、滅びたものということでもあるかもしれません。今生きている私たちと、かつて生きていた人たちの関わりのようなものが出てくるのか、今はまだ、漠然とした状態です。でも新たな自分を見たいために出演する作品を選んでいるので、今回も、“これまでに何回も演じたことのあるような役”ではないと思います」 言葉との出会いを大切にしている彼女にとって、どのようにして“自分の糧となる言葉”と出会っているのか、聞いてみた。 「最近は出演したドラマは台詞が多かったので、本を読む余裕があまりなかったのですが、映画監督の是枝裕和さんが樹木希林さんにインタビューをした『希林さんと一緒に。』を読ませていただいて、樹木さんという人の美しさ、生きることの美しさを言葉の端々に感じることができました。私は紙媒体が好きなので台本もすべて紙で読んでいます。本当はいろんな人に会って、いろんな人の話を聞いて、その人の価値観や生き方を知って、自分の価値観に色を添えていくみたいなことをしていきたいんですが、家のことや自分の仕事でなかなか叶いません。だからこそ本を読むことで、自分の今の時間や今いる場所ではないところにいる感覚を味わえたり、人の言葉を聞いてなるほどと思えたりします。デジタルから離れる“デジタルデトックス”も心がけています」 どんなときも、自分であり続ける。『骨と軽蔑』でもまた、今までにない「宮沢りえ」が舞台で待っているはずだ。