バイクにアイデンティを乗せた自由への疾走 アニメ「Tokyo Override」
バイクに乗るということ
バイクといえば、11月29日に公開された『ザ・バイクライダーズ』も本作と似ている。『ザ・バイクライダーズ』は、写真家ダニー・ライオンが1960年代シカゴに実在したバイカー集団の日常を描写した写真集にインスパイアされた映画。 ここでは、当時のハーレー・ダビッドソンにまたがったモーターサイクルクラブの創立から破滅までの軌跡が描かれている。バイカーの理想像を体現したようなオースティン・バトラー、クラブ創設者のトム・ハーディが、自分の大切なものを守るべく、もがき傷つ様は、切なくて色気がある。旧車好きなら是非観てほしい作品だ。 この『ザ・バイクライダーズ』と「Tokyo Override」、時代背景、登場キャラクターは、まったく違うが、根源的なテーマは一緒だ。 奇しくもこの2作品で、同じセリフが登場する。 「自由にバイクに乗れたらそれでいい」 一見、不良のバイク乗りが、無軌道に生きる様をただカッコつけて吐き捨てているように見えるが、そうではない。 自分が束縛されることに対する拒絶、ありのまま自分であることの肯定に他ならない。この2作品は、アイデンティーをバイクに乗せて社会からの解放を試みているのである。 2作品で描かれたベトナム戦争前後のアメリカ、100年後の東京。ともに登場人物たちのあずかり知らない何かに脅かされて窮屈だ。 「Tokyo Override」には、こんなセリフもある。 「バイクは人を自由にする。でも自由の意味は誰も知らない」 「自分の居場所を求め彷徨う、全て整った場所が心地いいわけじゃない」 過去も未来も変わらない。いつだって若者は盗んだバイクで走り出す。本作における王道のストーリー展開は、実に爽快な気分にさせてくれる。特にラストシーン、カフェレーサースタイルのCB1300から、ロケットカウルが外れて生身で疾走するシーンは、主人公の剥き出しの心が走っているようで、胸が熱くなるしとても清々しい。 いつの時代も、すべてをコントロールしようとする者がいて、そこからはみ出した者が存在する。バイクに乗らないあなたも、道ないなら自分で作って、上書きしてやればいい。困難な状況だとしても、あなたは挑まなければならない。自分で呼吸し、楽しむんだ。例え見返りがなくとも、人生というゲームを続けよう。 「Tokyo Override」は、そんなことを魅せてくれるアニメだ。
otocoto編集部