対話は想定の外に生まれる
今回は私が社内研修で参加したワークショップの体験から学んだことを共有します。
想定内のコミュニケ―ション
そのワークショップは、組織変革やコミュニケーションに関する問いを間において、参加者同士が対話しながら自分のコミュニケーションを振り返っていくという内容でした。 私はプログラムの中で多くの同僚と1対1で対話を重ね、自分のコミュニケーションについてさまざまな気づきを得ていました。 中盤、二人組で対話をしているときに、相手がふと口にした言葉にハッとさせられました。 「ここでの対話って、おおよそこういうことを話すという想定があって、それに沿って話せば、なんとなく時間をやり過ごすことはできるよね」 自分を振り返れば、プログラムに真剣に取り組んでいて、決してやり過ごそうという意図を持っていたわけではありません。提示される問いについてしっかりと考え、本音で対話をし、実際そこからいくつもの気づきを得ていました。ただ、それでも、どこか上滑りしたような、物足りなさを薄々感じていたのも事実です。 たとえば、「これからあなたのコミュニケーションをどう変えていきますか?」という問い。真剣に考えて答えはするものの、明日からもとくに変わらないだろうなという予感がどこか共有されているような感覚。 「コラボレーションの障害になるものは何ですか?」という問い。それぞれの答えは違い、それぞれが本音の思いを話してはいるものの、そういうこともあるよねと最初からわかっていることをなぞって確認するような感覚。 想定された役割を演じて、「お互いに想定外のことは起こさないようにしよう」と暗黙のうちに相手と握りあっている、それまでの対話にはそんな感覚がありました。 同僚の一言は、私がうっすら感じていたことを、確かなものとして自覚させてくれる言葉でした。
反射的な反応をやめてみる
それ以降、問いを投げかけられた瞬間に、半ば反射的に頭に浮かぶ回答をいったん飲み込み、問いをよく味わい、自分の中に起きることをもっとよく観察するようにしてみました。そうして、その場を取り繕うかわりに、心の中で起きていることをそのまま言葉にするようにしました。 「いや、正直言って自分の中で答えが見つからない感じですね」 「この問いを受けてこんな気持ちになっています」 「関係ないかもしれませんが、こんな体験を思い出しました」 私の姿勢の変化は、対話する相手にも影響します。多くの場合は相手も同じような姿勢へと変化し、対話はより、問いが想定していることを離れるようなやり取りへと変化しました。 「それって〇〇さんのどんなところから来るんだろう?」 「今頭の中では何が起きていますか?」 「今の言葉をきいてこんな絵が浮かんできた」 それがすぐさま気づきや学びにつながったわけではありませんが、少なくとも、その時間は生身のその人がそこにいることがより強く感じられ、お互いの発する言葉に、より興味がわいてくるような時間でした。