【DeNA】三浦監督、自慢のリーゼントヘアーで日本一秘訣語る「いい意味で割り切れるように」
DeNA三浦大輔監督(50)が11日、日本一に立った秘訣(ひけつ)を語った。 都内の日本記者クラブで南場智子オーナー(62)と会見。球団を26年ぶりの日本シリーズ優勝に導いた道程について、メンタル面の切り替えを勝因に挙げた。 三浦監督は、自慢のリーゼントヘアーに青いネクタイで登壇した。「先日、日本シリーズ優勝という結果を出すことができて、うれしさとホッとした気持ちがこみ上げてきた。98年からもう1度優勝。監督として優勝のタイトルを取れてうれしく思います」とあいさつした。 監督就任4年目で日本一に立った。「いい意味で割り切れるようになってきた。結果が出なかったら、もう1つの選択肢が正しかったのではと悩んでいたが、割り切っていけるようになった。いろんな人に助けられた」。最下位に沈んだ20年からの成長を語った。 短期決戦を制した理由については「事前ミーティングをよりしっかりとやれた。オフェンス、ディフェンスでコーチから提案してもらって試合に臨めたのは大きかった」。ホームの横浜スタジアムで2連敗した後、博多に移動した。立て直した理由を問われ「博多に移動した日は練習して、スタッフと何人かでおいしい魚を食べに行った。ダメだと思っているコーチもスタッフもいなかった。少なくても可能性はゼロじゃない。そこに賭けた」。連敗した後、横浜スタジアムでは選手だけでミーティングを行った。「選手たちが自発的にミーティングしたのが大きかった」と話した。 ビジターの成績が良い理由には「たまたまというか。ホームで勝たないといけない。ビジターでは球場に入ってから時間が無い。ホームでもミーティングの時間を変えたりした。後回しにして、入り時間を遅くした。試合まで4、5時間あったので」。選手にアンケートを取って、コーチを通じたヒアリング行い、要望に応えた結果だった。 ペナントレースでは3位だった。「可能性がゼロになるまでリーグ優勝を目標にしていた。ゼロになってからCSに切り替え、ホーム開催、3位と、すぐに切り替えられたのが大きかった」と振り返った。メンタルコーチについては「3年前からついていただき、選手だけでなくコーチ、スタッフと交流して『ここで監督に話して下さい』など連係が取れていたのが大きかった」と話した。 横浜に愛着がある。「18歳で横浜に来た。最初は右も左も分からず、街に育てられた。FAで関西に戻るか悩んだが、すごく愛されていると感じた。第2の故郷で、横浜に住んでいる期間の方が長くなった。緑があって、外国人の方も多くて、落ちつく街。そこで一緒に優勝したいと思っていた」。 「昔はガラガラで、僕の記念のベースボールカードを見ても、スタンドが空いていた。それでも信じてくれたファンと喜びたかった。連敗が続くといろんな声が聞こえてくるが、それ以上に支えてくれる人のためにと思う」。 リーグ優勝した巨人については「昔は地上波テレビが巨人戦しかなかったが、今はCSも全試合中継してもらって、今はジャイアンツアレルギーはないと思う」と話した。 筒香嘉智外野手が、シーズン途中に加入した。「自分の夢を追いかけてアメリカに行った。苦労したと思うが、筒香自らが若い選手の中に入ってコミュニケーションを取った。今のキャプテンの牧を立てつつ、フォローしていた。背中でチームを引っ張ってくれた。人一倍はしゃいだり」。孤高の存在にならず、チームに溶け込んだ姿勢を評価した。 データと勘の使い分けについては「事前ミーティングではアナリストからいろいろデータが挙がってくる。スラックなどでも。データもありますが、その時の勘というか感性に任せる時もある。ミーティング通りのことも、選手の調子もある。思い通りいかないと、次のプランにいく。半分半分か少しデータが多いかな」と話した。「データを入れながらの感性。やみくもな当てずっぽうではない。相川コーチもレギュラーシーズンで『ここで勝負しましょう』という言葉で動いたこともあった」と巨人戦で決断を迫られた場面を振り返った。 FA権を取得している佐野恵太外野手の去就については「来年優勝するには間違いなく必要な選手。交渉は球団と本人としている。ぜひ残ってほしいと思っている。祈っている。FAは選手の権利。悩んで後悔しない決断をしてもらいたい」と話した。 ドラフト1位の竹田祐投手(三菱重工West)については「映像で非常に力強い。キャンプから楽しみ。先発ローテーションは非常に重要」と話した。 南場オーナーは「このたび日本シリーズ優勝でDeNAベイスターズが少し結果を出すことができました。ありがとうございます。今まで一番生きていて幸せというぐらい幸せでした。水泳の金メダルの選手が言ってましたが、彼女は泳いでましたが、私は何もしないで応援していただけでしたが、うれしかったです。監督、コーチ、チームスタッフ、球団職員、スタジアム職員の全員が力を合わせて頑張った結果。努力が報われてうれしい。26年お待たせしたファンの皆さん、すべての皆さんに喜びを届けられたことが幸せです」とあいさつした。 日本シリーズ優勝でのビールかけには「はしゃいでしまいました。恥ずかしいですけど。うれしい気持ちを共有できた。常温なので、喜びでほてっていたので。ゴーグルをしてなかたので目が染みた。体力がなくて、4、5日筋肉痛でした。飛ばすのに技術がいるなど、学びがありました」と笑った。 CS、日本シリーズは全試合観戦した。「今年はシーズン始まる前から日本シリーズを含めて、夜は仕事を入れないようにした。物理的にどこかに行かなくてはいけない仕事は入れなかった。験担ぎはピアス、ネックレスなどでしてしまいます」と話した。 神奈川県全域で小学生に、チームの帽子を配布して、地域になじむことを目指してきた。「横浜のチームを取得させていただいて『DeNAって何者』という感じだったと思うが、受け入れてくださった。地域に恩返ししたかった。すぐにできることを可能な範囲でやってきた」と話した。