鍵盤奏者のバンジャマン・アラールが取り組む「バッハ作品全集」…古楽演奏に新風、荘重に軽やかに自在な響き
チェンバロとオルガンの両方で活躍するフランスの鍵盤(けんばん)奏者、バンジャマン・アラール(39)は、重厚謹厳な従来の古楽演奏に新風を吹き込む新世代の音楽家だ。バッハの作品全集に取り組む近況について話を聞いた。(松本良一) 【写真】バンジャマン・アラールのチェンバロ・リサイタル
「演奏家がいにしえの音楽に生命を吹き込めるかどうかは、音楽への思索をいかに深めるかにかかっている。リスクを恐れず、あらゆることを試したい」
チェンバロとオルガンの両方を弾きこなすには、正反対の楽器の特性に習熟する必要がある。「オルガンの響きは荘重だが、チェンバロは軽やか。両方をマスターすることで、オルガンで弾むような舞踊のリズムを刻んだり、反対にチェンバロで重厚な和声を響かせたりできる」と話す。
ハルモニアムンディ・レーベルで2017年にスタートしたバッハの「鍵盤のための作品全集」の録音は、完結すれば全17タイトル、CD数十枚分に及ぶ壮大な企画だ。最新の第9巻では、有名な「半音階的幻想曲とフーガ」などを18世紀製作のチェンバロで繊細かつ雄弁に弾いている。
作曲当時の楽器や奏法を用いる古楽演奏のスペシャリストだが、その音楽は学究的な厳格さから解き放たれている。「もちろん解釈などの流儀は尊重します。でも、それが表現の前面に出ると自由な精神が失われる。演奏する時は学んだことをいったん忘れ、初めて見るように楽譜を読むべきだ」と力説する。
たとえば第12巻として2026年に発売予定のバッハの「ゴルトベルク変奏曲」。チェンバロのために書かれた曲だが、一度オルガンで弾いたことがあり、「オーケストラを思わせる雄大な音から新しいイメージが得られた」。オルガンは時代や地域によってスタイルが異なり、一台一台違う響きを持つ。その経験を生かして最近録音したという。
すでにファリャのチェンバロ協奏曲など20世紀作品も録音しているが、今後はメンデルスゾーンやブラームス、フランクなど19世紀の作曲家にも本格的に取り組みたいと語る。「私のモットーは好奇心を途切れさせないこと」。その言葉は鍵盤楽器の新たな地平を切り開く気概に満ちている。