「ガンダム」生みの親・安彦良和氏が語る戦後日本エンタメ史の知られざる裏側
1970年代半ばから、高校生や大学生の女子を中心にアニメサークルができた。女子のほうが精神的に成熟していて、頭もいい。サークルのリーダーは女子で、女子がいると、そこにオタクの男子がついていく。だから若い女性を中心としたコアなファンを獲得できるかが、アニメの成功の目安になった。 ガンダムのときも、テレビ放送の視聴率が取れないなどのネックはあったが、目指したのは「ヤマトモデル」。作品自体は女性向けとは言えなかったが、ファンとして目立っていたのは女性だった。
――「ヤマトモデル」を踏襲するのに必要なこととは。 敵役の男性が(「宇宙戦艦ヤマト」に登場する)デスラー総統のような美形キャラであること。そこにミーハー的な人気が出る。「ヤマト」の場合は、たまたまそういうデザインだっただけだが、次第にあざとく狙うようになった。 ガンダムも、シャアは最初から美形という設定だった。僕はへそ曲がりだから、あえてマスクで顔を隠した。すると富野由悠季監督が第2話の演出でさっさとシャアのマスクを取ってしまう。焦って顔を考えることになった。
■アニメから離れて漫画専業に ――アニメ「機動戦士ガンダム」がヒットし、そのままアニメ業界で生きていく道もあったはずですが、1989年に『ナムジ』の連載を開始し、しばらく漫画専業となります。 1980年代前半までは、「俺もいけるかも」と思っていた。ただ、ガンダム以降となる1980年代、アニメは大きな節目を迎える。宮崎駿氏の監督作品が国民的アニメになって、大友克洋氏、庵野秀明氏など、異業界からの参入を含めて、若い才能が続々とアニメ業界に押し寄せてきた。
かつては、あくまで漫画が「主」でその「従」がアニメという位置づけだった。『巨人の星』や『明日のジョー』も、漫画をアニメ化して放送することで視聴者がどっと来て、視聴率が取れるという構造。それが、1980年代にはアニメという表現自体に面白さがある、(原作のない)オリジナル作品も作れる、という流れになって、アニメ表現としての独立性が高まっていった。 こうして、俺の時代と思ったのもつかの間。尖った、非常にマニアックなアニメが作られる様子を目の当たりにし、「これは俺にはできないな」と痛感するようになった。