秋野暢子「小学校卒業式を見るまでは!」食道がん“鬼退治”の新たな仲間は初孫
【前編】「5年生存率が5%下がる」秋野暢子、食道がんステージ3の決断。その時、長女とマネージャー姪の反応は?より続く 【写真あり】東京、大阪での個展は多くのファンが来訪。作品の売り上げの一部を、日本対がん協会やがん研究会に寄付している ステージ3の食道がんと診断された秋野暢子(67)は放射線と抗がん剤治療で「鬼退治」宣言した。手術よりも、5年生存率が5%下がるものの、「自分らしく生きたい」と考えたからだ。 主治医、愛娘、マネージャーを務めていたなど、頼りになる「鬼退治」の仲間たちに先月、新人も加わった。初孫だ。同居中の孫の成長を、いつまでも見守りたい。ばあばの熱き思いこそ、がんと共存する彼女の「生きる灯」となっていた――。 ■死を自覚することで、食べて飲んでしゃべる、平凡な生活が輝いて見える ’22年6月、化学療法を選択した秋野は、翌月には自身のブログでがんであることを公表した。 「それまで“美しく健康に生きる”をテーマに講演会や、健康のための運動や食事法をお伝えする書籍を発表していたので、病気になって黙るのはおかしくない!? っていう思いがあったんですね。嘘なく、誇張なく、正直な思いや経験を日々アップしていきました」 ブログは、秋野自身も含め、同じ病気の人や家族が励まし合える場所となった。そのブログでは、がんの闘病を“鬼退治”と表現している。 「医療では、医師や看護師、技師の皆さんのチームがいなければなりませんし、家族やブログに集う人たちは精神的な支えになります。桃太郎のような、仲間がいてこそ闘える病気だと思ったんです」 そんな思いで、鬼退治に挑んだのだが──。 「抗がん剤治療というと、髪の毛が抜けるイメージがあるじゃないですか。ごっそり抜けるようなことがあるとメンタルをやられるから、事前に剃ってしまおうと思ったんです」 病院内の美容院に行ったが、カミソリを使用しないため、仕上がりは3mmほどの丸刈りに。 「短い毛が抜けると面倒だから、コンビニでT字のカミソリを購入。これがキレイに剃れるんです。ところが、回診で部屋に入ってきた担当医はびっくりして『秋野さんの抗がん剤は、毛が抜けないタイプのものなんですよ』って。まったくの早とちりでした(笑)」 点滴で行った抗がん剤治療では、副作用に悩むことはなかった。 「自由に動けるし、吐き気どめの薬も進化していて、吐くようなこともありませんでした」 抗がん剤治療とともに、放射線治療も同時並行で行った。しかし、その期間は体の負担が大きかったという。 「全30回あったのですが、20回目以降から、やけどのように首が真っ黒に変色して、喉の痛みがひどくなりました。まるで剣山が喉に刺さっているほどの痛みだったんです。放射線治療前に胃ろうを作ったんですが、嚥下能力が衰えるので、なるべく口から水やアイス、プリンを流し込んでいました」 つらい治療ではあったが、あくまで前向きに捉えていた。 「痛みが一生続くのであれば心も折れるけど、いつかは治るのだからと捉えていました。それに真っ黒にただれた皮膚も、めくれてみると、その下から新しくてキレイな皮膚が再生しているんです。そんな喜びも感じていました」 コロナ禍だったため、家族であってもお見舞いできない状況だった。しかし、前出の高岡さんは、できる限り、家族で彼女を支えようと意識していたと語る。 「親子で一緒にテレビ電話をしていたと思います。秋野が一時退院したときは、コロナ禍のため、自宅に帰らずに病院近くのホテルに宿泊していたのですが、秋野がホテルのガラス越しから見えるように、今は夫になった娘の彼氏や、秋野が飼っているワンちゃんを連れていったこともありました」