昔住んだ街も元恋人も「記憶の中」なら理想通り わざわざ会ったり訪れたりしなくてもいいのかも(古市憲寿)
子どもの頃、東京の亀戸のあたりに住んでいた時期がある。祖父母と共に浅草の松屋デパートや亀戸天神に行ったり、福神橋のバス停から都営バス「門33」路線に乗って豊海水産埠頭を目指すというのが、休日の過ごし方だった。
この前、久しぶりに子どもの頃に住んでいた場所を訪れた。自分でも驚いた。懐かしくも何ともなかったのだ。この30年で街並みが変わってしまったということもあるだろう。だがそれ以上に僕自身が何も覚えていないのだ。 駅までの道も、通っていた幼稚園も、川沿いの景色も、まるで初めて訪れる場所のようだった。頭の中に幼少期の記憶は断片的に残っているが、それは目の前の景色と一致しない。 テレビなどでタレントが故郷を訪ねて、懐かしさに涙を流すシーンを見ることがある。今まで当たり前に思っていたが、彼らはよほど記憶力が良かったのだと感嘆する。それとも、覚えてもいないことに感動する力が高いのだろうか。 戦後、海外で暮らし続けた元日本兵などは、生まれてから20年ほど話していたはずの日本語も忘れていることがある。その方が自然なのではないかと思う。 僕が辛うじて覚えていたのは、亀戸駅前のビルの窓。今はアトレになった駅ビル「エルナード」のレストランフロアの窓に、縦線が入っていた。子どもの頃によく行った洋食レストランで、その縦線を見ながら食事をした記憶がある。でもただの窓の縦線を見て、さすがに懐かしいと涙にむせぶことはなかった。
ネットで検索したところ、ぬいぐるみデザイナーの平栗あずささんが、SNSにエルナード時代のフロアガイドを投稿しているのを見つけた。レストランの名前は「ニュー・トーキョーばるーん」らしい。 そこから店名を探し当て、「ばるーん」で働いていた小沢聖さんというイラストレーターのブログを読んだ。2011年10月の時点ですでに「ばるーん」はなくなっていたが、当時のスタッフ同士で20年越しの同窓会を開いたらしい。また20年以内に集まりたいと書かれていたが、そのうち実現するのだろうか。 正直、実際に亀戸を訪れるよりも、こうしてネットで当時の情報を探る時間の方が、懐かしいという感覚を抱くことができた。平栗さんも小沢さんも全く存じ上げない方だが、少なくとも近い時代に、同じ場所を訪れていた。その経験に触れる方が、今はすっかり奇麗になったアトレのレストランフロアを歩く時よりも、あの頃に近付けた気がする。 人間も同じかもしれない。久しぶりに会う人は確かに懐かしい。だが目の前の人は、すでに「あの時のあの人」ではない。 理想の恋人は記憶の中にしかいないという説がある。どんなに好きな人でも、人間である以上、欠点がある。だが記憶の中の人は、いつまでも自分の理想通りでいてくれる。街も人も、わざわざ数十年ぶりに訪れたり会ったりする必要はないのかもしれない。 古市憲寿(ふるいち・のりとし) 1985(昭和60)年東京都生まれ。社会学者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。日本学術振興会「育志賞」受賞。若者の生態を的確に描出した『絶望の国の幸福な若者たち』で注目され、メディアでも活躍。他の著書に『誰の味方でもありません』『平成くん、さようなら』『絶対に挫折しない日本史』など。 「週刊新潮」2024年11月7日号 掲載
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