五輪のラグジュアリーな再構築──LVMHのアルノー家がパリで目指していること
今夏、アスリートやファンが押し寄せるパリオリンピックに、LVMHは莫大な金額を投じて自社のブランドを巻き込もうとしている。スポーツ界とラグジュアリー界の最も豪華な融合だと言えるが、そこから見えてくるのはLVMHを率いるアルノー家のさらなる野望かもしれない。 【写真をみる】パリ五輪のために、LVMH傘下のブランドであるショーメはメダルを、ベルルッティはフランス代表の開会式の服を手がけた。
世界で最も美しいと称される首都、パリ。夏季オリンピック開催を前に、この街の麗しさにはさらなる磨きがかけられようとしている。1850年代に作られたものもあるというシャンゼリゼ通り周辺のベンチは、1500万人に上ると予想される訪問客が来るのを前にペンキが塗り替えられている。私がいる国会議事堂の階段の上からは、作業員たちが仮に設置されるオリュンポスの神々の彫像をあれこれいじりながら、クレーンで所定の位置に下ろしているのが見える。 フランスにはもはや、君主も王室も存在しない。だが、ベルナール・アルノーと彼の5人の子どもたちがそれに近い存在になりつつあると言う者もいる。ベルナールはラグジュアリーコングロマリットであるLVMHの会長兼CEOであり、それぞれの子どもたちは父親が創ったブランド帝国を監督している。アルノー家とLVMHは、主要スポンサーとしてパリ五輪に深く関わっており、何百万人もの訪問者(それに、テレビで視聴する10億人以上も)を、高級ハンドバッグやベルト、香水、ジュエリー、そしてLVMHの特徴的なサヴォアフェール(洗練された気質)で誘惑しようとしている。 ◼️2つのハイエンドな世界の出会い フランス版『VOGUE』の元編集長カリーヌ・ロワトフェルドは、LVMHとアルノーとのコラボレーションに賛同し、開会式のタキシードをデザインした。LVMH傘下のラグジュアリーブランドのひとつであるルイ・ヴィトンがパリ郊外で運営するプライベートな工房では、職人たちが大会で使用するメダルを収納するためのトランクを作っている。 木槌が奏でるコンコンコンという優しい音が、まるで催眠術のようなサウンドトラックとなって工房を包みこんでいる。オリンピック開幕まで4カ月を切った3月下旬。納品期限は迫りつつあるが、制作は威厳を持って慎重に進められている。スモックやカーディガンを身にまとい、計算尺やノミ、小刀、ドライヤーを振り回し、鋲の入った箱をガチャガチャと鳴らしているここの職人たちは、長い間あらゆる気まぐれに応えることを求められてきた職人ならではの冷静さを備えている。 ルイ・ヴィトンは真鍮製の角がついたトランクの製造を通して、フランスで不朽の名声を得た。裕福な顧客の要求と夢に応えるために作られたトランクは、さまざまなものを収納するためにデザインされてきた。ハンドバッグ、時計コレクション、ライティングデスク、さらにはワールドカップまで。私はルイ・ヴィトンの工房を案内された時、死体保管用(時折、要望があるそうだ)や武器用(猟銃用を作ることはあるが)のトランクは作らないと聞いた。それでもこれまで、ウォークイン・ゴルフロッカーとなるように設計されたトランクや、折りたたみ式ベッドが入ったトランクは存在したという。 この日、作られていたメダルを収納するためのトランクは、外側はモノグラムのキャンバス地に包まれ、内側はブラックレザーで裏打ちされた、背の高い衣装だんすのようなものになる。制作現場を通りかかると、木くずや接着剤の匂いが漂ってくる。そして太いレザーのハンドル部分を縫う作業台からは……これはハチミツの匂い? 誰かが説明してくれた。職人たちが使っている糸には、手で蜜蝋が塗られているのだそうだ。私は金、銀、銅のメダル一式が収納されることになる、パッド入りの引き出しがゆっくりと組み立てられていくのを眺めていた。そのパッドは、私が乗ったパリ行きの列車の座席くらい心地良さそうだ。メダルそのものは、LVMH傘下のジュエラーであるショーメが手掛けたデザイン通りに作られていて、すべてのメダルには実際のエッフェル塔で使われていた鉄が入っている。 ラグジュアリーと、オリンピックのような広大で汗臭いイベントの融合は、何から何まで特別なのだ。2020年東京オリンピックでは、メダルは公共バスなどで見かけるコインの受け皿にそっくりな、リサイクルトレイに載せられて運ばれていた。 2012年ロンドンオリンピックのメダルをアン王女がお披露目したときは、くたびれたブリーフケースから取り出した。 オリンピックのスポンサーである銀行、ビール会社、eコマース会社、製薬会社、スポーツウェア会社は、実用性を求める傾向がある。2008年北京オリンピックのスポンサーのひとつは国家電網だった。それを踏まえると、2024年のパリオリンピックは当初から異色を放っていた。昨年、LVMHがパリオリンピックとの “クリエイティブ・パートナーシップ ”を発表する際、ベルナール・アルノーの息子アントワーヌは、背後にエッフェル塔が一望できる大きな窓の前に立っていた。どんよりとしたパリの空がドラマチックだった。 それから大忙しとなった数カ月の間に、LVMHは社内の人材をオリンピックとパラリンピックを活気づけるために送り込んだ。報道によると、それと同時に主催者側の予算に約1億6000万ドルを寄付したという。オリンピックというものは、意図的であろうとなかろうと、結果的には開催国についての物語を語ることになる。2008年の北京五輪は、中国がテーブルに叩きつけた拳のようだった──見よ、我々は重要な国なのだと言わんばかりに。2012年のロンドン五輪では、イギリス人が長い間抑えていた、自民族優越主義的なプライドを、おそるおそる(でも終いには決定的に)再認識することになった。 LVMHとアルノー家の指揮の下、2024年パリ五輪は、シャンパンのコルクが弾かれ、革が張られ、蜜蝋の香りが漂う、より着飾ったオリンピックとして歴史に名を残すことになるだろう。だがLVMHとアルノー家は、彼らの確かな目やセンス、熱心に働く職人たちが立てるコンコンコンという木槌の音を貸し出す見返りとして、何を受け取るのだろうか? 開会式が間近に迫るなか、私はLVMHのオリンピック事業の一端を見るために同社への取材を試みた。ハイエンドな小売業とハイエンドなスポーツ業界の特殊な感性が融合したときに、どんなことが起きるのかを理解したいと思ったからだ。もちろん、過去にもこの異なる2つの世界が”戯れる”ことはあった。例えば、1992年のバルセロナ夏季オリンピックでは、デザイナーの三宅一生がリトアニアの選手たちにプリーツ素材でできたシルバーのトラックスーツをデザインした。その後、2002年のソルトレイクシティ冬季オリンピックでは、石岡瑛子が多くの国の選手たちにウェアを提供した。2008年からは、ラルフ・ローレンがアメリカ選手団の公式デザイナーを務めている。 しかし、憧れの高級品と羨望の的であるアスリートの才能との衝突がこれほど顕著になったことはなかったし、これほど興味をそそられることもなかった。 ◼️LVMHとアルノー家は「不可分」 ロワトフェルドは何も知らないまま、このプロジェクトに参加したと言う。 国旗を振り回すような愛国主義者とは程遠く、雑誌編集者からスタイリストに転身した彼女は、LVMHと傘下のブランドのひとつであるベルルッティとの会合に招かれたが、自分がフランス選手団の開会式用ユニフォームを手掛けるデザイナー候補として着目されているのは知らなかった。「まるでブラインドデートのようでした」とロワトフェルドは言う。彼女は、ユニフォームに対する一般的な嫌悪感を脇に置いて、一役買うことにした。そして、どんなサイズの選手でも開襟シャツの上に羽織れるネイビーのタキシードジャケットを考案した。ロワトフェルドは、ファッションにおけるフレンチモード(つまり、フランス人であること)の基本として「デコントラクテ(décontracté)」と呼ばれるものがあると説明する。彼女の言葉を借りれば、それは「やりすぎず、どこかもの足りない」という見事な逆説である。 白いボクシーTシャツをクールに着崩して、ソファーに半分横になって話しながら、ロワトフェルドは完成したユニフォームと靴を身につけた若いアスリートたちが微笑む写真を見せてくれた。フェンシング選手やボクサー、クライマーたちの襟には赤、白、青のトリコロールカラーのストライプが入っているが、それ以外のところを見れば、彼らは壮大なスポーツの祭典ではなく、夕暮れにカクテルでも飲みに行くように見える。 ロワトフェルドは、制作中はずっとアントワーヌ・アルノーをパリジャンのモデルとして念頭に置き、その雰囲気をユニフォームで表現しようと考えていたという。「誰かのことを想像する必要があります」と彼女は言う。「そこで私は、アントワーヌが醸し出すシックな上品さを頭のなかで思い描いたのです」 。開会式になれば、フランス選手団の選手たちは、自分たちがLVMHが作ったユニフォームを着せられていること、そしてそこまで顕著ではないかもしれないが、アルノー家の一員から抽出されたエッセンスを身にまとっていることを実感することになる。 私がアントワーヌ本人を初めて目にしたのは、あるカクテルパーティーでのことだった。LVMHが所有または入居しているパリ近郊の建物のひとつで開かれた、非公開のイベントだった。オリンピックの主催者からメダル一式を貸りてきていて、スタッフは間近で見ることができるようになっていた。ジャズが流れている。LVMH傘下のモエ・エ・シャンドンのグラスが回ってくる。いたるところではルイ・ヴィトン製のアロマキャンドルが、おそらく1分間に1ドルの割合で蝋を溶かしている。アントワーヌは、友人のロワトフェルドが言うように、「とても背が高くて、痩せている」。ふわっとした黒髪に、同情しているかのような太い眉が特徴的だ。私は、彼が会場を一廻りしてからアンティークのビリヤード台にもたれかかり、静かにスピーチを練習するのを見ていた。 アントワーヌは、大家族の代表としてしばしばスポークスマンを務めている。75歳の長であるベルナール、姉である49歳のデルフィーヌはディオールのCEOで、弟たち──32歳のアレクサンドル、28歳のフレデリック、25歳のジャン──は、それぞれティファニー、LVMH、ルイ・ヴィトンのシニアレベルの役職に就いている。47歳のアントワーヌは、オリンピックのパートナーシップ事業を監督するだけでなく、一族の持ち株会社であるChristian Dior SEの経営など、企業内でさまざまな役職を担っている。 LVMHの2023年の年次報告書によると、一族は合計で同社の資本の48%以上を保有している。 外から見る限り、ベルナールは帝国の分割に慎重を期しているように思える──彼が年を取るにつれて、ドラマシリーズ『メディア王~華麗なる一族』のロイ家のような愛憎劇というよりは、気高く壮麗な後継者争いのドラマが生まれつつある。 とはいえ、子どもたちは驚くほど友好的に協力し合っているという。2022年に行われた収支報告で、ある投資家から引退の予定はあるかと聞かれたベルナールは、友人のロジャー・フェデラーを引き合いに出して遠回しのジョークを言った。自分にもっと練習時間があれば、2人のテニスの差は少しは縮まるかもしれない、と何かをほのめかすように言ったのだ。だが、多くの情報通はベルナールがすぐに退任するとは思っていないらしい。 カクテルパーティーの会場で、側近がジャズの演奏の音量を下げさせた。スピーチをはじめる前、アントワーヌはひとりオリンピックのメダルを手に取ると、ポケットからグレーのメガネを取り出してじっくりと観察していた。そして満足気にうなずいた。彼が低い壇上に上がると、拍手が起こった。公式的にはこれはLVMHのイベントだが、私たちはみな、アントワーヌとアルノー家に招待されていると知っていた。LVMHという会社はアルノー家であり、アルノー家はLVMHなのだ。『ル・モンド』は、ベルナールと彼の会社は「不可分」だと記していた。 スピーチのなかでアントワーヌは、オリンピックをパワフルで強力だと称賛し、ある種の否定的な考え方──彼が言うところの「うまくいかない可能性のあるものすべてに目を向けようとする、フランス人らしいマインドセット」──には影響されないと示唆しているように思えた。LVMHが打ち出すポジティブなカウンターカルチャーや、企業として常に前進し続けていることについて彼が語っているとき、私はLVMHの歴史に思いを馳せた。この20~30年における、同社の信じられないほどの財政的成功についてだ。 パリ大会のメダルを製作するにあたり、ショーメのデザイナーたちは、数十年前に同ブランドが製作したティアラやブレスレットからインスピレーションを得た。完成品を収納するために、ルイ・ヴィトンの職人が特注のトランクを制作した。 ◼️拡大する事業と野心 1984年、当時クリスチャン・ディオールを所有していた繊維会社ブサック・サン・フレールを含むコングロマリットを買収したとき、ベルナールは無名の起業家のひとりにすぎなかった。 驚くほどの大胆さで、彼はすぐにルイ・ヴィトンとモエ・ヘネシーの合併会社を含むその他の高級ブランドの経営権を手に入れた。頭文字をとったLVMHの傘下となったルイ・ヴィトンは、中国の裕福な中産階級の増加のおかげもあって、その後数十年にわたり絶え間なく利益を上げるようになった。この数年のパンデミックは、さまざまなところに破滅的なダメージを与えたが、ラグジュアリー業界は嫌気がさすほど活気づいた。人々はルイ・ヴィトンなどの高級品に大金を費やしたのだ。『フィナンシャル・タイムズ』によると、2023年までにルイ・ヴィトンはLVMHの収益の半分を占めるまでに成長したという。同年、LVMHはヨーロッパの企業として初めて5000億ドルの評価額を記録したと報じられた。途方もなく価値がある企業を率いるベルナールは、事実上の国家元首のような存在になったのだ。今年3月、彼はフランス最高の栄誉であるレジオン・ドヌール勲章の大十字章を授与された。また同じ頃、『フォーブス』で世界一の富豪に選ばれ、個人資産は2000億ドルを超えると推定されている。 LVMHがオリンピックを迎え入れること。それは、急成長するこの企業の将来と、パリにベルナールが残すレガシーにどう作用するのだろう? 約10年前、彼はパリに美術館フォンダシオン ルイ・ヴィトンを設立し、エルズワース・ケリーやカタリーナ・グロッセなどの名作やサイトスペシフィックな作品を展示した。その近くでは今、LVMHが手掛ける新しい文化センターの改装が進行中だ。「ベルナールにエゴがあるとは思えません」と、何年もベルナールとアルノー家とともに働いていたLVMHの前幹部は言う。「彼が、歴史に名を残したいと思っているのだろうと感じさせるのは、アートに投資している点です。アートは貴重で、いつまでも変わりませんから。結局のところ彼のような人というのは、おそらく心の奥底で自分自身ではなく自分の功績が、永続するかけがえのないものになることを望んでいるのだと思います」 オリンピックの資金援助を目的としたこの取引は、個人的な虚栄心よりもはるかに野心的なものであるように思える。LVMHは事業の焦点を絞るのではなく、むしろ拡大することによって、ヨーロッパ的な意義を持つ素晴らしい企業へと成長した。長い間、ラグジュアリービジネスは排他的であることで成り立っていると思われてきたことを考えれば、驚くべきことであり、おそらく革命的な変化ですらあるだろう。これは、細部にまでこだわる厳しい目と、自らが一助を担った世界的なラグジュアリービジネスのあり方と動向を先読みしてきたという、確かな実績を持つCEO、ベルナールの努力の賜物だ。ある元幹部はベルナールのことを、ブティックを訪れては陳列された商品の配置を点検しに来る人でもあり、広告キャンペーンの「物語性やムード」に目を光らせるCEOでもあるが、何よりも事業拡大のパイオニアであると語った。「ここ5、6年のアルノー氏のビジョンは、LVMHを体験重視の分野に拡大することです。ホスピタリティ、レストラン、カフェ、アートギャラリー、カルチャー、そして最近ではスポーツというように」 ◼️際立つLVMHの存在感 この春、予定がぎっしりと詰まった平日のある日に、アントワーヌはオリンピック・プロジェクトについて独自の見解を示してくれた。四半期ごとの決算発表、年次株主総会、そして彼を意識してデザインされたチーム・ユニフォームであるタキシードのお披露目の合間に、メールでオリンピックに関する質問に答えてくれた。アルノー家にとっては多忙な日々だったが、一家は物事を効率的にこなすことで常に尊敬を集めてきた。彼らは数学者であり、音楽家であり、テニスプレーヤーであり、比喩的な意味での曲芸師でもある。弟のアレクサンドルとフレデリックは父と同じくフランスの名門校エコール・ポリテクニックを卒業し、ジャンはマサチューセッツ工科大学とインペリアル・カレッジ・ロンドンで学位を取得した。かつて『パリ・マッチ』に 「驚異的な一家」と評されていたが、アルノー家なら本気で真剣に取り組めば、この夏、円盤投げや体操競技に出場して入賞できるかもしれないと思えてくる。 アントワーヌに、特に難しい“曲芸”について聞いてみた。パリオリンピックの重要なスポンサーとして、LVMHは希少で高価なラグジュアリーグッズを宣伝することになる。つまり、すべての人のためにデザインされたわけではないグッズが、全ての人に開かれていることを誇るイベントでプロモーションされることを、どう思うかと。アントワーヌは、このような考え方はステレオタイプであると言った──つまり、それは間違った考え方だと言いたいのだろう。「ですが一方で、私たちの業種とオリンピックにはたくさんの共通点があると思います。誰もが私たちのブティックでハンドバッグを買えるわけではありません。しかし、多くの人がいつか持ちたいと夢見ています。それはオリンピックも同じです。誰もが100メートルを10秒以内で走れるわけではないですが、多くの人がそのような偉業を夢見ているのですから」 一流の選手は細部にまで気を配らなければならない、とアントワーヌは言う。彼らは情熱とともに卓越性を追求しなければならないのだと。もちろん、LVMHは人々の頭の中でそんなふうに結び付けて考えられても構わないと考えている。私は彼に、そうした一流選手たちに親近感を覚えますか?と尋ねた。結局のところ、アルノー家はしばしば、その強いワークエシック(労働倫理)そして集中力の高さを賞賛される。 LVMHのある元幹部は、一家についてこう語った。「彼らがすることはすべて、細部にわたって慎重に準備され、大抵のことは見事に実行されます」。アントワーヌは今年初め『VOGUE』の記者に、名門一家の一員であることは決してミスを許されないことを意味すると語った。 4年というサイクルの中で、1分でも1時間でも最大限の力を発揮しようとするオリンピック選手なら、誰もが共感するに違いない。 「(選手たちに)アドバイスをするなんて、おこがましいことです」とアントワーヌは言う。彼はオリンピック選手たちと、彼の家族が雇っている多くの専門家や、私がルイ・ヴィトンの組み立てラインで見たような職人たちとの間には、明確な類似点があると考えている。工房で私は、あるベテランの縫製職人に会った。ヴィトンで40年働いているという。彼はまるで手品師のように、針の穴を見ずに針に糸を通すことができた。瞬きする間もなく、鋭い針は、通した糸の真ん中を一気に突き抜けながら動いていった。 アントワーヌはこのような器用さを「何百回、何千回と繰り返した後に到達する卓越した動き」と表現し、オリンピック選手級の偉業だとみなしている。「私たちは今回のオリンピックを豪華でエレガントなものにしようとしているのではありません。クリエイティブなものにして、私たちの熟練の技に実を結ばせようとしています」と彼は語る。「その礎となるのは、クリエイティビティと経験なのです」もちろん、一般的なスポンサーとしての特典もあり、なかでもとりわけ、試合に夢中になっている観客たちに対して宣伝できる機会を得ることができる。「スポンサーはシャンパンのような商品を提供するものです。ですが、今回のパートナーシップはそのもっと先を行きます」 昨年『ウォール・ストリート・ジャーナル』は、アルノー家に関する記事の中で、彼らがどのように意思決定をしているのかについて紹介した──LVMH本社で月1回行われる昼食会で、彼らは一丸となって決断を下しているのだと。まず父親がiPadで議論のトピックが並ぶリストを見せる。すると子どもたちが、順番に意見を述べていく。昼食会はきっちり一時間半で終わる。そのように記事には書かれていた。 私はアントワーヌに、オリンピックとのパートナーシップのアイデアが最初に議論された昼食会のことを覚えていますか?と尋ねた。「ある朝、目が覚めた途端に2024年パリオリンピックのことを考えはじめたわけではありません」と彼は、10年前にパリがオリンピック招致をする際にも一家が支援していたことに触れながら言った。「確かに、当時はニュースになっていませんでしたが、私たちは初期のサポーターでした」 それでも、LVMHはメインスポンサーであることを昨年の今頃まで明かさなかった。「人々は、(最も)国際的に認知されたフランス企業となった私たちが、このパートナーシップを発表するのを待っていました。その気持ちは私もよくわかります」。ゆっくりと時間をかけてパートナーシップの条件を整えていった、とアントワーヌは言う。 ヴァンドーム広場にある緑色のナポレオン像は、タイル張りのこのショッピングエリアの南東の角を占めているLVMHのブティックに向かって、左足を持ち上げているかのようだ。 まるで、これから小伍長(訳注:ナポレオン一世のあだ名)が柱の上から飛び降りてきて、ルイ・ヴィトンではバッグや財布を、ディオールでは小さめのバッグやレインコートをぶらぶらと見て回ろうとしているかのように......。ルイ・ヴィトンとディオールというLVMHの2つの宝は、広場を歩く買い物客を、同じくLVMHが所有するジュエラーのショーメなど、そこまで広くは知られていないブランドに向かわせる“おとり”のようにも思える。 LVMHの元幹部は、世界中のショッピングモールとのテナント契約の際に、ルイ・ヴィトンやディオールのようなブランドの持つ計り知れないほど大きな魅力が、強力な交渉ツールとして役に立つと考えている。別の元幹部はヴィトンのようなブランドは、グループ内の他のブランドがより良い店舗の場所を確保する助けになるかもしれないが、そのダイナミズムはむしろ狼の群れのようなもので、内々で調整し情報を共有するのだ、と教えてくれた。 LVMHと2024年パリオリンピックのパートナーシップには、どうやらこうした戦略的要素があるようだ。ルイ・ヴィトンは、オリンピックの聖火を収納するためなどさまざまなトランクを職人による手作業で制作する。ディオールは、おそらく開会式に華を添えるのだろう。これらのスーパーブランドの後を追うのは、そこまでは知名度が高くないショーメで、彼らはメダルを作る。タキシードを準備するのはベルルッティだ。LVMH傘下の化粧品小売店セフォラは、聖火リレーのパートナーとなり、パリまで何マイルもかけて聖火を運ぶ。「それがLVMHの力です」と元幹部の1人は言っていた。彼はそうしたスーパーブランドによって、LVMHのポートフォリオにあるより知られていないブランドは育まれていると考えている。 私が、パリでLVMHの存在がいかに目立っているか(バス停の広告でも見た)という話をした。するとその幹部は笑いながら、パリのバス停は 「LVMHの子会社のようなものですからね」と、冗談のようで冗談ではないことを口にした。あるいは、LVMHに投資している投資家のクリスチャン・ビリンジャーはこう言っていた。「パリには、LVMHのタトゥーが入っています。パリはデジタル汚染を嫌い、ブランディングを嫌い、コーポラティズムを受け入れない街です。だからこそ、LVMHの存在感がさらに際立つのです」。数百万人が訪れ、さらに数十億人が自宅から視聴すると予想されるオリンピック開幕日に、その存在感はさらに増すことになるだろう。 アントワーヌは、今度のオリンピックが「私たちのブランドのポスターにはなることはないです」と言っていた。そして、そんなあくどいものではなく「私たちのサヴォアフェールをお見せするショーケースになることでしょう」と言って話を終えた。 ◼️サヴォアフェールの気質 パリ市民は、サヴォアフェールの気質を身につけて育つ。ロワトフェルドは、「パリ市民であれば、常にサヴォアフェールとともに生きることになります。サヴォアフェールはどこにでもあり、建築にも、絵画にも、ファッションにも見られますから」と説明してくれた。この言葉は、ほとんど宇宙的なレベルで落ち着き払った状態を言い表している。オリンピックのような大規模なイベントでは冷静さが試されるものだ。ロワトフェルドは湧き上がる不安を目の当たりにしてきた。「パリ市民はとても怒っています。街がどんどん住みづらくなっていくのですから」 私はヴィトンの組み立てラインで働く例のベテラン職人に、観客としてオリンピック競技を観に行く予定はあるのですか?と尋ねた。すると彼は、そうではなくパリを離れるつもりだと答えた。LVMHの元幹部のひとりも、今年はいつもよりも早く、大会が始まる前にはパリから逃げるつもりだと言う。昨年秋に行われた世論調査では、パリ市民の半数弱がこれから起きることに反対していることがわかっている。 人で賑わい活気にあふれる都市で夏季大会を開催して成功させるのは、常に至難の業だとされている。7月から8月にかけて、パリ中心部の大部分では通常の交通が遮断される。そのうえ、老朽化した地下鉄の運賃はおよそ2倍に跳ね上がる。今年初め、エッフェル塔の職員たちがストライキに突入し、パリを代表する観光名所が約1週間閉鎖された。これを警告として受け止めようとする人たちもいた。以来政府は、夏季オリンピックが開催される大変な数カ月の間も働き続けてくれる公務員に、ボーナスを支給すると発表している。 セーヌ川ではオリンピックのトライアスロン選手が開幕週に飛び込めるように、浮遊廃棄物や有害物質を取り除く処置が取られるはずだった。しかしこの計画はあまりにも野心的で、主催者は最近になって、川がまだあまりにも汚ないようであれば、トライアスロンの水泳競技は延期されるか、あるいは中止されるかもしれないと認めた。 訪問客の流入にもかかわらず、この夏のパリ市内の小売業者の運勢については一概に楽観視できない。 LVMHグループのある元幹部は、オリンピック期間の混雑によって売上が大きく伸びるとは期待していないと話していた。4月の収支報告では、HSBCのアナリストがLVMHのジャン・ジャック・ギオニ最高財務責任者(CFO)に、オリンピックが売上に与える影響について質問した。それに対して「ビジネスにとっては大きな弾みにはなりません」とギオニは答えていた。 『 ル・モンド』の報道によると、ギオニのLVMHの同僚であるマルク=アントワーヌ・ジャメ事務局長は、市がリヴォリ通りの歩行者天国化を決定した際に憤りを表したという。そんなことになれば、LVMHが所有するデパートの目の前に観光客を乗せたバスが停車できなくなるからだ。 フランス経済における強力な企業プレーヤーであるLVMHは、誤解や不当な批判を受けたと感じたとき、フランス国民にアピールすることがある。 昨年、デモ隊がLVMH本社に一時的に侵入したことがあったが、その夏にはフランスの新聞に広告が掲載され、どれだけ多くの人をラグジュアリー業界が雇用しているかに目を向けさせていた。私が出席したカクテルパーティーでのスピーチのなかで、アントワーヌは彼の家族の会社に向けられた批判の一部を押し返していた。彼が引用したのは、ニュースサイト『メディアパルト』の一節だったが(「自分を抑えられなかった」とのちに言っていた)、それは、LVMHがフランス人アスリートたちを個別に後援する際に、なかでもトップクラスの選手だけを選んでいることを指摘している部分だった。LVMHにいったいどうしろと言うのでしょう、とアントワーヌは言った。「レースの最後尾を走る人」と連帯しろということでしょうかと。 フランス人は歴史的に、最下位と優勝者の差を特に痛感することが染み付いている。今回の作戦を成功させるためには、アルノー家のあらゆるサヴォアフェールが試されるだろう。私は、 LVMHがオリンピックのような平等主義的なイベントに参加することで、現在緊張状態にあるフランス、特に富の不平等にまつわる緊張が和らぐと思いますか?とアントワーヌに尋ねた。「LVMHは直接的にも間接的にも、フランスでトップクラスの民間雇用主です」と彼は言い、イノベーションと起業家精神の象徴として、LVMHが国内外で評価を得ていることについて語りはじめた。「多くの企業とともに、私たちは(今回の)オリンピックが誇りと喜びをもって、最高のコンディションで開催されるために支援しています。 それがすべてです」 他にも何か成し遂げられるのかもしれない。『ウォール・ストリート・ジャーナル』のパリ支局でラグジュアリー企業関係の記事を担当するニック・コストフ記者は、"アルノー家研究"の第一人者として知られる。「ラグジュアリー企業は通常、オリンピックには関与しません」と彼は指摘する。「ですが、LVMHがオリンピックに参加するのには、超が付くほど重要な理由がある。それは、自分たちが社会貢献する善良な企業であることを示す必要があるからです」 ◼️“さまざまな入り口”を作る戦略 モンテーニュ通りにある本社の横にある、ディオールが入っている白い石造りの建物の中には、隠れ家のような部屋である「スイート・ディオール(Suite Dior)」がある。顧客が希望すれば、一度に何日間か滞在して、時間外に買い物をすることができるという。その近くにあるポンヌフは昨年の夏、ルイ・ヴィトン のメンズ クリエイティブ・ディレクターに就任したファレル・ウィリアムスのデビューショーを行うために、手の込んだステージに作り替えられた。LVMHが数百万ドルを投じたと報じられたこのショーには、ゼンデイヤ、ルイス・ハミルトン、レブロン・ジェームズ、リアーナ、ビヨンセとジェイ・Zらが出席した。ブティックの中のベッドルームに、一夜だけ招待客専用になった人通りの多い橋。これらは、LVMHが築き上げた巨大な帝国の霧に包まれた頂点であり、多くの富裕層の顧客であっても手の届かない体験だ。他の人がオーナーであれば、トップクラスのみに語りかけ、超一流の顧客にのみ売るというのを企業全体のビジネスモデルにしていたかもしれない。ラグジュアリー業界でLVMHのライバルとなる企業の多くは、まさにそれを実践しているようにも思える。しかしアルノー家は近年、異なる戦略を採っている。LVMHが近年成長した理由のひとつが、さまざまな水準の消費者に向けてさまざまな入り口を開いてきたことだ。高価なものを販売はしているが、リップスティックから軽いランチに至るまで、そこまで高額を支払わなくてもLVMHのブランドと関わることができるのだ。 ポンヌフの北端にはルイ・ヴィトンのカフェをオープンさせた。道路を挟んだ向かい側には、LVMHが所有するホテルがある。その間に挟まれた「サマリテーヌ」は、LVMHが改修プロジェクトとして着手するまで何年も荒廃したままだったアール・デコ調の巨大デパートだ。サマリテーヌでは、LVMHファミリーの内外にかかわらずさまざまな商品が売られている。しかし、階段の屈曲部の近くや人通りの多い場所など、最も良い場所を占めているのはLVMHブランドの商品のように思える。デパートを訪れている間、巧妙な陳列と動線がブティック内にも続いているのに気づいた。高価なベルトや財布は入り口の近くに、より高価な靴やハンドバッグはその奥、そしてもっと美しくもっと高価な服はさらにその奥というように。LVMHは成長するにつれ、ビジネスの幅も広げてきた。最近では、映画やテレビ、オーディオ事業に進出する22モンテーニュ・エンターテインメントを立ち上げた。 そしてまもなくオリンピックが開催されれば、リーチする顧客の幅はこれまでになく広くなることだろう。 晴れた日の午後、私はパリから北西に行った郊外に到着した。そこではLVMHが、パリ市民や観光客向けに、ジェットコースターやふれあい動物園を完備したレジャーパークを運営している。このコングロマリットの傘下にあるラグジュアリーブランドは、もはやトップクラス以外立ち入り禁止の存在ではなく、メインストリームの存在として見なされるべきだと、提案されているかのようにも思えてくる。夏季オリンピックは、そうした戦略の最も壮大な見せ場となり、LVMHのライバルも後援者も、業界のコメンテーターも投資家も、それが何を暗に意味しているのかに、注意深く目を凝らすことになるだろう。 前述したLVMHに投資するビリンジャーは「LVMHは日用消費財メーカーに期待されるような事業に足を踏み入れようとしています。このまま彼らはナイキのようになっていくのでしょうか?」と疑問を投げかける。つまりそれは、私がアントワーヌに尋ねた、起こり得るリスクの話と共通する。 ディオールとルイ・ヴィトンはこの夏、露出過多になる危険性があるのではないか? それに対してアントワーヌは「私たちは起業家一家ですから」と間髪入れずに答えた。「リスクだと思われるところに、チャンスを見出すのです」 レジャーパークのジェットコースターからは、エッフェル塔が見える。その下でアスリートたちは集結しビーチバレーを行うことになる。コンコルド広場の石畳ではBMXの選手たちがトリックを决め、3×3バスケットボールの選手たちがダンクを決めるだろう。セーヌ川沿いはマラソンの中盤地点となり、ランナーたちの力が試されることになる。パリ──ある起業家一家によって形作られ、これからも形作られ続けるであろう街──は着々と準備を進めている。シャンゼリゼ通りを歩いていくと、ルイ・ヴィトンの大型ブティックがある101番に差し掛かった。ヴィトンの有名なモノグラムを取り入れたトリコロールの旗が掲げられている。そのうち大通りの西端にある、巨大なランドマークにたどり着いた。ひとつは世界有数の名所として知られる凱旋門。もうひとつはより新しく、輝いていて、観るものを魅了する、103番地に建設中のルイ・ヴィトンの新しい建物だ。 実にミステリアスな新プロジェクトの建設が進行する間、敷地はキャンバスと真鍮でできた巨大なヴィトンのトランクを模した囲いで覆われている。銀色のモノグラムのLとVは、公衆電話ボックスの大きさくらいある。角の部分だけでも、なんとか全体を1枚の写真に収めようと離れて撮影する観光客よりも背が高い。 7月と8月になれば、パリの空撮写真でこのトランクを目にすることができるだろう。オリンピックの夏にアルノー家が最後にお披露目する、最も輝かしい偉業だ。1ブロックを占拠するほど大きな、そびえ立つ豪華な箱。それは招待状であり、また参加を呼びかける訴えでもある。 From GQ.COM By Tom Lamont Translated by Miwako Ozawa