「いつか自分の劇場を」近隣住民が目撃した西田敏行さんの“ひとりコンビニ”と、叶わなかった献身妻との約束
叶わなかった妻との約束
店内の壁には、西田さんの似顔絵付きの直筆サインも。お酒をこよなく愛した西田さんは、地元周辺の飲食店に頻繁に出没していたという。 「立ち飲みができるお店で偶然西田さんにお会いしてビックリしました。この辺のジャズバーにもよく来ていたそうです。ピアノに合わせてエルヴィス・プレスリーのモノマネを一般客に披露していたとか」(近所の住民) 遅くまで飲み歩く一方で、2人の娘の父として子煩悩な一面も。 「お子さんたちが幼かったころのインタビューで西田さんは、自身を“親バカ”と称して子どもたちを溺愛。仕事で出かける前は10分ほどキスやハグなどのスキンシップを行っていたとも打ち明けています。かつては、お子さんたちを女優にしたいという願望もあったようで、一緒にCM出演したことも。結局、その願いは叶いませんでしたが、娘さんたちは西田さんの仕事のサポートを続け、家族仲は良好だったようです」(前出・スポーツ紙記者、以下同) 公私共に順風満帆だったが、50歳を超えると徐々に体調を崩すようになる。 「2001年に頸椎症性脊髄症を患い手術を受け、2003年には心筋梗塞で緊急入院。2016年には自宅のベッドから転落して頸椎亜脱臼と診断され、のちに手術。近年は歩くのも難しくなり杖を使うように。ほかにも、糖尿病や高血圧などの持病を抱えていたようです」 満身創痍の西田さんをAさんは献身的に支え続けていた。 「西田さんは生粋の演劇人で仕事を愛していましたから、病気で引退するとはいっさい考えていなかったようです。それを知っていたAさんは西田さんが通う病院や仕事現場にまで同行するなどサポートを続けていたんです」 そのかいあってか、回復の兆しも見せていた。 「亡くなる2週間前、西田さんがひとりで自宅からコンビニに出かけるところを見かけました。両手に杖を持って危なげではありましたが、以前は車いすをAさんに押してもらいながら移動されていましたから。良くなりつつあるのかなと思っていたので残念です」(別の近所の住民) 役者として成功後もスキャンダルとは無縁で、最後まで仲睦まじかった西田夫妻。そんなふたりには、共に思い描いていた夢があったという。 「西田さんは、いつか自分の劇場をつくろうと考えていたんです。Aさんも“自分の劇場があれば、好きなときに好きな芝居ができる”と賛成していたとか。実現こそしませんでしたが、Aさんは演技をしている西田さんのことが大好きだったのでしょうね……」(芸能プロ関係者) 生涯現役を貫いた西田さん。その陰には50年にわたる愛があった─。