渡辺早織 イタリアでのほろ苦い思い出 花溢れる小さな村で出合ったトリュフのパスタ
【&M連載】渡辺早織の思い出ちょっぴり、つまみぐい。
料理好きな俳優・渡辺早織さんが心に寄り添った手料理を紹介する連載です。ほろ苦かったり、甘酸っぱかったり、思い出とつながったご飯は何だか忘れられません。明日を頑張るあなたの活力になりますように……。そんな思いを込めた料理エッセーを動画とともにお届けします。詳しい作り方はフォトギャラリーでご紹介します。 【画像】もっと写真を見る(16枚)
村いっぱいに広がる1日かぎりのアート
この村に来たのは2回目だった。 ウンブリア州の小高い山の斜面に沿ってつくられた小さな村スペッロ。 人口8千人ほどのこぢんまりとしたこの村にもし一度訪れることがあるのなら、その独特な美しさはきっと生涯忘れられない記憶を私たちに残すだろう。 歴史深いこの村には古代のローマ時代の偉大さを感じるには十分なほどの遺跡があり、ウンブリア地方の中でのスペッロの当時の重要性を物語っているようにも見える。 しかし、スペッロが美しいのは過去の遺跡のおかげだけではない。 この村では、住民がみな窓や玄関に色とりどりの花を飾り美しい景観を保ち続けている。 そのおかげでこの村全体が花園のようになっていて、とてもかわいらしい。 人が少ないこの村を散歩すると静かでしんとしてさえいる。 それなのに、どこもかしこもきれいにきちんとしつらえられた花々があるものだから、こっそりお花の妖精がこの村を作っているのではないかと思ってしまう。 そんなおとぎ話の世界のような光景が目の前に広がる、独特な空気がこの場所にはあるのだ。 大半が坂道でできたこの村の路地道を少し子供に戻ったような気持ちで歩く。 普段から草花であふれるこの村だけれど、一年に一度その魅力が最大限に開花する日がある。 それは毎年6月に行われる「インフィオラータ」というお花の催事で、「フィオーレ=花」から、「ちりばめられた花」という名前のイベントだ。 この日スペッロ全体は無数の花で作られたアートでいっぱいになる。 はじめて聞いた時、いわゆるお花畑を想像していたら全く別のもので驚いた。 その芸術性の高さはまるで絵画のようで、やわらかい質感はじゅうたんのようでもある。 鮮やかで力強い色彩をもっている花の生命力を感じずにはいられないし、同時に花ゆえのもろく繊細なはかなさもかねそなえているところにぐっと惹(ひ)きつけられた。 強さの裏にある弱さ。人間も花も、生き物というものはなんだか似ている。 美しい花々で作られた芸術品を見ながら色々なことを考える。 それにしてもこの美しいイベントはどのようにして始まったのだろうか。 気になってイベントの公式ホームページを見てみたら、1930年頃に一人の女性が路地にフェンネルと小さい黄色い花でシンプルな絵を描いたところ、それが住民の称賛を浴びたことがこのインフィオラータのはじまりだと書かれていて、そんなエピソードもまたなんてかわいいんだと思った。 いつまでも見ていたい美しい芸術だけれど、この美しい花の状態を鑑賞できるのは実は1日かぎりだ。 前日はまる1日かけて準備をする。 芸術家たちは地面に下絵を描き、その間に人々は花から花びらを一枚一枚手でちぎり、それぞれの色に分けて箱につめる。作品に使う大半は花びらだけなのだ。 鮮やかな色を保つために何日も前から作業するというわけにはいかないのだろう。 そのすべての作業が終わったら、その日の夜中に一斉に花びらを下絵の上に敷き詰める。 一体何千、何万本の花を使っているのか、数えることもできないだろう。 作品数は80ほど、大きいものは12メートルから15メートルもあるのだから。 作業は一晩中つづき、次の日の朝9時ごろついに完成となる。 寝ずに作業したとして、それでもそんなことが可能なのかと、村の人々がこのイベントにかける並々ならぬ情熱にもとても驚く。 今では世界中からたくさんの観光客がくるこのインフィオラータ。 この美しい村で、自然と人がもたらす魂の芸術は唯一無二のものだ。