シーサイドボウル高松が閉店…52年の歴史に幕を下ろす 地域に親しまれてきたボウリング場の最後の1日
KSB瀬戸内海放送
高松市のボウリング場が売り上げの低迷や施設の老朽化などにより6月28日、閉店しました。半世紀にわたって地域に親しまれてきたボウリング場の最後の1日を取材しました。 【写真】シーサイドボウル高松 高松市浜ノ町
6月28日、最後の営業日を迎えたシーサイドボウル高松です。 (記者リポート) 「閉店まで残り4時間、午後7時過ぎとなりました。別れを惜しむように大勢のお客さんが最後のボウリングを楽しんでいます」 1フロアに18のレーンがあり、仕事帰りのグループや家族連れ、常連客らで埋まっていました。 (利用客は―) 「昔よく兄に連れて来られて遊びに来ていた。きょうで最後と聞いたので、すごく一生懸命に仕事を終わらせてみんなで来ることにした。本当に長い間お疲れ様でした」 「家族と(ボウリングを)して楽しかった思い出。(Q.きょうで無くなりますが?)悲しい」 「こういった場所が無くなるのがすごく寂しい」 シーサイドボウル高松は第1次ボウリングブームの1972年2月4日に開業しました。 早朝から深夜まで営業した時期もありましたが、レジャーの多様化もあり、約30年前から売り上げが減少。何とか踏ん張って営業を続けてきましたが、新型コロナウイルスの感染拡大で大きな打撃を受けました。 その後も客足が戻らず、厳しい経営が続いていました。 (シーサイドボウル高松/太田英夫 社長) 「年々売り上げの減少で厳しい時期が続いていて、コロナの追い打ちがあった。今のこの状態で無謀な設備投資もできないので閉店という決断をした」 ピンを立てる機械は開業当初から使っていて、金属疲労による破損が相次いでいたそうです。他にも電気設備の故障、雨漏りや外壁がはがれるなど、今後も営業を続けるためには約5000万円の改修費用が必要だったということです。 (シーサイドボウル高松/太田英夫 社長) 「10本ピンが入って並べる部品だが、本来は三角がここまであるところだが、クラック(割れ目)が入って剥がれ落ちた状態。ちょっとでも右肩上がりで売り上げが上がっていれば再投資しようかという気になるが、売り上げが元に戻らないので今投資しても回収は不可能」 オープンから52年間通い続けた75歳の男性です。ここでたくさんのボウリング仲間と出会うことができて、パーフェクトゲームも達成したそうです。 (52年間通い続けた/糸谷辨吉さん [75]) 「きょうが済んだらあしたから無いということなので寂しい。いろいろとあったけど、ありがとうございます、と締めくくりたい」 午後11時、営業終了の時間を迎えました。特別なことは行わず、いつも通り利用客を見送りました。 (シーサイドボウル高松/太田英夫 社長) 「私にとっては私の人生そのものだったし、ここで閉じるのは寂しいが致し方ないと思って覚悟している。52年間、無事に営業出来たのも、来ていただいたお客さんのおかげだと思っている。最後の日に大勢の方が来ていただいて本当に感謝している。長いことありがとうございました」 昭和、平成、令和と時代を越えて親しまれてきたシーサイドボウル高松。52年の歴史に静かに幕を下ろしました。
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