船井電機破産の背景に見る「AVメーカーの不振」、なぜ日本勢は世界に誇る技術力とブランド力を失ってしまったのか
■ バブル崩壊と同時に次々と外国企業に買収されたAVメーカー ところが、日本でバブルが崩壊するのとほぼ同時に、日本のAVメーカー、特にオーディオメーカーは突如、苦境に立たされる。 最初は山水だった。まだバブルが続いていた1989年にイギリスのポリーペック・インターナショナル(PPI)に買収される。外国企業による初めての東証一部上場企業のM&Aだった。ところがPPIは90年に経営破綻、山水は91年に香港セミテックの傘下となる。 もっとも山水の場合は、1970年代のニクソンショックによる円高以降、労使紛争もあって業績が悪化していたため、外国企業による買収も山水の特殊例と思われていた。ところが山水はすべての始まりに過ぎなかった。 1994年、やはり中堅オーディオメーカーだった赤井電機が、同じくセミテックに買収される。セミテックは97年には、AVメーカーのナカミチも買収した。 御三家の1社のパイオニアは、2019年にアジア系投資ファンド、ベアリング・プライベート・エクイティ・アジアに買収され、上場廃止となった。パイオニアは1979年に「絵の出るレコード」と言われた「レーザーディスク」の製造を開始し、高画質ビデオ市場を創出した。さらにはその技術を基にDVD開発に置いても存在感を発揮した。 しかし2000年代に入り、社運を賭けたプラズマテレビが液晶に敗れたことから業績が悪化。オーディオ部門も振るわず、2015年にオンキヨーに売却した。現在はファンド傘下でカーナビなど車載製品の製造・販売を行っている。 そしてオンキヨーも2022年に破産した。残る1社のトリオはケンウッドブランドに統一されたことで消滅した。
■ デジタル化で差別化が難しくなったオーディオ、テレビ なぜ日本のオーディオメーカーの経営が立ち行かなくなったのか。時期的にバブル崩壊と重なるが、それは最後のダメ押しでしかなく、根本的な原因は、デジタル化の波についていけなかったことだ。 1982年、ソニーは世界初のCDプレーヤーと、ソフト50タイトルを発売する。それからの5年で、CDはレコードを完全に駆逐する。円盤の大きさが変わっただけではなく、オーディオのアナログからデジタルへの転換がこの時以降、急速に進んでいく。 アナログレコードでは、どうしても雑音が入る。それをいかにカットするかがメーカーの腕の見せどころだった。また音質も、メーカーごとの味付けがあった。ところがデータを0か1かで記録するCDは、クリアな音が出せる一方で、メーカーや機種による差別化が難しくなった。端的に言えば、安い機器でもそれなりの音を再生できるようになったのだ。 これまで音質を追求し続けてきた日本のオーディオメーカーにとって、これは痛手だった。しかも音楽はリビングにあるステレオで聴くものだったのに、1979年のウォークマンの発売以来、パーソナルに楽しむものになった。これも逆風となり、日本メーカーは新興国のAVメーカーの後塵を拝するようになっていった。 それでも当時はまだ日本メーカーにはブランド力があった。企業としては競争力を失っていても、そのブランドには価値があった。だからこそ、山水も赤井も、これから世界を目指そうという中国(香港)資本が欲しがった。しかしそのメッキも剥げた今、御三家ブランドのオーディオは、パイオニアのカーオーディオを除いて全て姿を消している。 映像機器も、オーディオの後を追うように日本メーカーは弱体化していく。その最大の要因もやはりデジタル化だ。 かつて全てのテレビはブラウン管テレビだった。ブラウン管は巨大な真空管であり、その製造および制御には独特のノウハウが必要だった。かつてソニーが「WEGA(ベガ)」で実現した完全平面ブラウン管は、世界中のどのメーカーもまねできなかった。 ところが液晶やプラズマなど、薄型テレビの登場が全てを変えた。最初はこの分野も日本がリードした。しかし、液晶は半導体と同じようなデバイスの一つに過ぎない。同時にテレビ放送もデジタル化したことでテレビの電子回路もオーディオと同じように差別化が難しくなった。