不都合なことは「1秒で削除」される中国メディアの「闇」
中国は、「ふしぎな国」である。 いまほど、中国が読みにくい時代はなく、かつ、今後ますます「ふしぎな国」になっていくであろう中国。 【写真】中国で「おっかない時代」の幕が上がった!? そんな中、『ふしぎな中国』の中の新語・流行語・隠語は、中国社会の本質を掴む貴重な「生情報」であり、中国を知る必読書だ。 ※本記事は2022年10月に刊行された近藤大介『ふしぎな中国』から抜粋・編集したものです。
秒删(ミアオシャン)
「删」の字が日本の常用漢字にないが、「けずる」と訓読みする。「冊」は編んだ竹簡を、「刂」は刀を示す。 まだ紙が発明されていなかった古代、文字は墨をつけた筆で竹簡に書いた。誤字が生じれば刀で削った。中国二十四史のトップを飾る『史記』130巻、52万6500字も、司馬遷(紀元前145年頃~紀元前86年頃)はこの手法で書いた。 『史記』の中で、読んでいて1巻だけ違和感を覚える箇所がある。「孝武本紀第十二」―司馬遷と同時代を生きた武帝(紀元前156年~紀元前87年)について記した巻だ。武帝は漢帝国を最大版図にした第7代皇帝で、その治世は54年に及んだ。 この巻で司馬遷は、武帝を誉めまくっている。いかに偉大な皇帝様かを延々と綴っているのだ。他の巻は、歴史の秘蔵スクープ満載で、しかも奥深い洞察に基づいて書かれているので、明らかに「訳ありの巻」だ。 中国語で「一山不容二虎(イーシャンブーロンアルフー)」(一つの山に二頭の虎は容認されない)という言葉がある。日本語の近い言葉に訳せば、「両雄並び立たず」。あら、この言葉も『史記』の「両雄不倶立(リアンシオンブージュイリー)」が原典だ。 武帝は、その名前の通り、現在の新疆ウイグル自治区あたりを制圧した「武威の皇帝」として、勇名を轟かせた。中央アジア産の名馬を数多揃え、乗馬が趣味だった。 また中央アジアを越えて、西のローマ帝国ともシルクロードを通じて交易。ワインに惚れ込み、宮中に醸造所を作らせたほどだった。 一方の司馬遷は、歴史・天文(暦)を代々司る名家に生まれた。その職である「太史公」として名を馳せ、当代きってのインテリだった。 だがこの両雄、何とも不仲だったのである。武帝からすれば、頭でっかちの司馬遷が鬱陶しい。司馬遷からすれば、武帝の本性は賢帝とはほど遠く、とても尊敬できない。 そんな中、事件が起こる。天漢2年(紀元前99年)の「李陵の禍」だ。 武帝の匈奴征伐の前線部隊を預かる李陵将軍が、李広利将軍を助けるため、5000の兵を率いて匈奴の背後をつき、これを破る。だがその帰路、8万の匈奴軍に囲まれ、捕虜となってしまう。この知らせを受けた武帝は、激昂した。 この時、司馬遷が唯一、李陵将軍を擁護した。司馬遷は李陵と一面識もなかったが、情勢を客観的に判断して、李陵に瑕疵はなく、立派な国士だと述べたのだ。 このことで武帝は、李陵の代わりに司馬遷を断罪し、「宮刑」を言い渡した。古代中国の刑罰は「五刑」である。軽い順に「黥刑」(顔や体に入れ墨を入れる)、「劓刑」(鼻を削ぐ)、「刖刑」(片足を切り落とす)、「宮刑」(性器を切り取る)、「大辟」(五体を車裂きにする)。司馬遷はその4番目に当たる重刑に処せられたのだった。 そして刑を終えて、意気消沈していた頃に書かれたのが「孝武本紀」だった。思うに、司馬遷は武帝を「ホメ殺し」にしたのである。いかに偉大な皇帝様かと、これでもかと羅列(られつ)することによって、かえって愚帝ぶりを匂わせる高等戦術だ。司馬遷こそは、「ホメ殺し」の元祖と言える。 もっとも別の説を主張する中国の学者もいる。いったんは割合正直に書いたが、「全删(チュエンシャン)」(全文削除)を命じられ、仕方なく誉めまくったという説だ。 真相はいまだ謎のままだが、分かっていることが一つある。それは、中国において為政者と書き手の関係は、古代から現在に至るまで、頗る緊張関係にあるということだ。 竹簡の時代から紙の時代に変わり、いまやインターネットの時代になった。それに合わせて習近平新時代に入ると、「删」の字に、「秒」という接頭語が加わった。すなわち、「1秒で削除してしまう」という意味だ。 普段、中国のニュースを追いかけている私は、身体の方は老いる一方だが、指の瞬発力は、おかげさまで大いに鍛えられている。 インターネットやSNS上に、習近平総書記や中国共産党政権にとって不都合と思えるニュースや映像がアップされると、「秒删」を喰らう。そのため、こちらは記事が残っている間に、保存するかスマホで写真を撮っておかねばならない。本当に1秒の差で、成功したり失敗したりするのだ。 そんな中で、私の「戦利品」をいくつか紹介しよう。まずは、2016年3月13日に中国国営新華社通信が、この日に終了した年に一度の「両会(リアンフイ)」(全国人民代表大会と全国政治協商会議)を総括した記事の一節だ。 〈中国最後の指導者である習近平は、今年の「両会」で、「中国の発展は一時一事、波はあるけれども、長期的に見れば順風満帆だ」と表明した〉 この記事を見た私は、唖然としてすぐに保存したが、瞬く間に「秒删」された。そして1時間10分後に再びアップされたが、冒頭の表記が「中国最高の指導者」に書き換えられていた。後に新華社通信の知人に聞いたら、党と国家の最高尊厳(習近平氏)に対して、「最高」を「最後」と誤記したことで、上から下まで厳重な処分を受けたという。 だが本当に、「高」を「後」と打ち間違えただけの単純ミスだったのだろうか? まず、中国語のピンインでは、「高」(gao)と「後」(hou)を打ち間違えることはあり得ない。中国語のタイプ方法は、ピンイン法の他にも五筆打法などがあるが、やはり打ち間違えるほど似てはいない。 それに、新華社の知人によれば、習近平関連などの最重要記事においては、現場の記者が書いた草稿を、6人の上長がチェックした後、初めてアップされるという。6人とも気づかなかったというのは不可解だ。 さらに言えば、そもそも「中国最高の指導者」(中国最高領導人)という表現自体が不自然だ。普通は「習近平総書記」「国家主席習近平」などと表記される。時に親しみを込めて「習近平同志」と書かれることもあるが、「中国最高領導人」という書き方は奇異である。 実は、この記事が出る約1ヵ月前の同年2月19日、習近平総書記が新華社通信本社などを視察に訪問。「メディア党姓論」をぶって、中国のマスコミ業界に衝撃が走っていた。 かつて毛沢東主席は、「新聞を党の重要な武器とみなせ」と説いた(1942年9月15日の指示)。つまり、中国のメディアというのは、共産党の宣伝機関という認識だ。 習近平総書記もまったく同じ考えで、「すべてのメディアは共産党の姓を名乗れ」と檄を飛ばしたのだ。新華社通信は国務院(中央官庁)傘下にあるので国営ではあるものの、世界の戦場を駆け巡ったりもしているわけで、報道機関としての矜持を持っている。それがあからさまに「党の宣伝機関となれ」と言い渡されたことで、内部は動揺した。そんな中で起こったのが、「中国最後の指導者事件」だったのだ。 その3ヵ月半後、7月1日の中国共産党創建95周年の記念式典を報じた「テンセント・ネット」(騰訊網/タンシュンワン)も、「傑作」をアップした。 〈習近平は重要講話で癇癪を起こした〉(習近平発飙重要講話) こちらも直ちに「秒删」され、しばらくして〈習近平は重要講話を発表した〉(習近平発表重要講話)と直されてアップされた。「飙」も「表」もピンイン表記では同じ「biao」だが、声調が前者は一声で後者は三声だ。とてもプロの記者が誤記するとは思えない。 ともあれ、この1文字の「漢字間違い」によって、「テンセント・ネット」の名物編集長・王永治氏は解任され、一介のスポーツ担当記者に飛ばされてしまった。 こうした事件から6年余りを経て、「秒删」はますます猛威を振るっている。いまや「抖音(ドウイン)」(TikTok)などの動画サービスも「秒删」の対象だ。 一方、中国で最も権威ある新聞とされる『人民日報』は、連日、習近平総書記を称える記事や写真が満載。さながら『習近平日報』と化している。 ちなみに中国の憲法第35条には、こう明記してある。 〈中華人民共和国の公民は、言論・出版・集会・結社・デモ・示威の自由を有する〉
近藤 大介(『現代ビジネス』編集次長)