なぜ、日本といえば「侍」「切腹」なのか? フランス人がドン引きした幕末の切腹事件とは
海外の人々が日本のイメージについて語るとき、「侍(サムライ)」、そして「切腹(ハラキリ)」が頻繁に登場する。そのきっかけの一つとなったのが幕末に起きた「堺事件」であるが、どのような事件だったのだろうか? ■サムライ・ハラキリのイメージが広まったきっかけ 今年のアカデミー賞では日本の作品『ゴジラ-1.0』と『君たちはどう生きるか』が快挙を成し遂げた。全米脚本家組合と全米映画俳優組合によるストライキの影響、マーベル作品の不調などが追い風となったとはいえ、日本映画の質と技術が高く評価されたことには違いない。 ドラマにおいても、日本を舞台とした作品が相次いでヒットを飛ばしている。ディズニープラス配信のドラマ『SHOGUN 将軍』とNetflix配信のドラマ『忍びの家』がそれである。両作品は外国人が日本文化の象徴と目する「侍」と「忍者」をテーマにしたもので、「ヤクザ」「芸者」と並び、外国人にとっての日本のイメージが50年、100年経っても大きく変化していない事情が垣間見える。 「侍」の延長線上として、武士による「腹切り(切腹)」も日本独自の文化として広く知られているが、そのきっかけは幕末に起きたある事件にあった。慶応4年・明治元年(1868)に大坂で起きた堺事件である。 ■女性をナンパするフランス人に反発した土佐藩兵 当時、尊攘過激派による外国人襲撃はやや沈静化していたが、いつ何がきっかけで再発するかわからない。警備担当者は緊張を緩めるわけにはいかなかった。一方で、外国人の横暴を座視することもできず、開港地の治安に責任を負う諸藩は臨機応変の対処を求められた。 このような情況下、大坂の堺で事件は起きた。フランス軍艦が入港した2月15日、上陸した水兵たちは道行く日本女性にナンパ行為を働き、やたら身体に触れる者もいた。 住民たちから苦情を受け、警備担当の土佐藩兵が出動するが、そのなかにフランス語を話せる者がいるはずもなく、フランス兵の側にも日本語を話せる者はいなかった。意思の疎通が充分に測れないことに加え、フランス兵には列強の一員としての驕りがあり、土佐藩兵の側には外国人による侮りを許すまいとする空気が漲っていた。 片言のオランダ語と身振り手振りによる話し合いでは埒が明かずにいるうち、フランスの水兵が土佐藩兵の旗を奪おうとしたことをきっかけに、ついには武力衝突が発生。フランス側に11名の死傷者が出る事態となった。 ■切腹の様子にドン引きしたフランス人 当然ながら、この一件は外交問題に発展。前年末に大政奉還がなされたばかりで、新政府はまだよちよち歩きの状態。列強の一角を占めるフランス相手に強気の交渉はできず、フランスからの要求をほぼそのまま受け入れ、土佐藩関係者20人を切腹させるしかなかった。 かくして同月23日、堺の妙国寺で、フランス水兵の立ち合いのもと、切腹という名の処刑が開始されたが、クジで選ばれた20人には怯えた様子など微塵もなく、一人ずつ順番に、腹部を横に切り裂いたのち、自身の手で内臓を取り出し、最後は介錯人に委ねるという作法に忠実だった。ただ一つ特殊だったのは、取り出した内臓をフランス兵たちのほうに掲げながら、何事か叫んでいたこと。 最初は驚くばかりだったフランス兵もだんだん気分が悪く、恐ろしくもなってきた。11人目の切腹が終わったところで、フランス軍のデュプティ・トゥアール艦長からの申し出により、それ以上の刑の執行は中止された。 ほどなくして、この切腹の光景は新聞報道や立ち会った者たちからの口づてでフランス中に広まった。またトゥアール艦長からから聞き取りをしたイギリスの外交官アルジャーノン・フリーマン・ミットフォードが自身の著書『英国外交官の見た幕末維新』の中で詳しく触れたことから、広く英語圏でも、日本と言えば「SAMURAI」「HARAKIRI」というイメージが広く定着することとなったのである。
島崎 晋