仲村トオルが大切にしている言葉「お天道様は見ている」、頑張りは誰かが見てくれている
大人気俳優仲村トオルが主演を務める新ドラマ「飯を喰らひて華と告ぐ」(毎週火曜夜11:45~、TOKYO MX)。7月9日(火)より放送開始となる同作の放送に先駆けて、主演の仲村にインタビューをおこなった。「俳優的食欲」に従ってきたという仲村の仕事観、そして“勘違い”を主軸にした同作にふさわしい「他人からの理解」を俯瞰する人生観を深く語っていく。 【動画】新ドラマ「飯を喰らひて華と告ぐ」仲村トオル主演の“ズレすぎ店主”が人を巻き込む予告動画 ■12分ドラマでも変わらないスタンス ――本作は毎話12分という珍しいスタイルです。12分のドラマというのは、役者さんにとっても新たな試みなのでしょうか? 時間の短さに挑戦という意識はほぼありませんでしたけど、世の中のさまざまなものの切り替わりの速度が早くなっているな…という意識はあって。YouTubeを1.5倍速とか、2倍速で見るとか。 うちの娘の友達は「もうTikTokより長い動画を見るのダルくね」と言っていたらしいんです。「なるほど、そんな風になってきているんだな」って。なので12分で起承転結があるドラマって“切れ味が良さそうだな”と…そういう興味をもちました。 ――1時間ドラマや長編ドラマ撮影と今回の撮影を比べたとき、取り組み方が大きく変わったということはあったでしょうか。 数年前に「八月の夜はバッティングセンターで。」という30分枠の番組に出演したときも似たような感覚をもったんですが。1話30分でも、今作のように1話12分でも、取り組み方の何かが変わるということはあんまりないんです。 むしろ「12分×12本ということは、トータルとしては144分あるのか、これは結構なボリュームだぞ」と感じていました。 撮影が始まった頃、監督に「せりふのスピードをもっと早くした方がいいですか?」みたいなことは聞きましたね。12分に収まるのか心配になって。でも 「いや、今のままで大丈夫です」という返事をいただいたので、それからはあまり1話12分尺ということを意識しなくなりました。 ■漫画原作に忠実に寄せた、ユニークな中華料理屋の店主 ――原作をお読みになったときの印象と、ドラマのアレンジをどのようなスタンスで演じられたのかお聞かせください。 今回は漫画原作ということもあって、原作が文字だけの小説よりも読者の人が持っているビジュアルのイメージが明確にあるわけですから、「(漫画原作に)寄せないといけないな」とは思っていました。 ただ撮影現場に入ってしまうと、演出するのは原作の足立和平さんではなく監督である近藤啓介さんと井上雄介さんです。近藤さん、井上さんの描く世界はどんな色なんだろう、何を求められているんだろうという意識の方が現場では強かったです。 撮影後に原作の足立先生に、「結果的に漫画より濃い人間になってしまったかもしれません」と話しました。「ドラマではできない漫画ならではの表現を、こういう形で表現しようとしました」とか、「漫画ではこんな登場人物が出てくるので、展開がああなると思うのですが、ドラマは生身の俳優たちが1人ひとり店を訪れる設定なので、こういう流れになりました」というような話をして…。なので、(漫画とドラマの)違いは 当たり前のように出た、とは思います。 たとえば、原作の漫画には料理のシーンで「音を表す描写」が全くないんです。それは足立先生がかなり意識して『書かないことによって聞こえてくる』を目指している」とおっしゃっていた、表現の“こだわり”です。でもドラマはそこに音を入れることになる。そうしたドラマなりの表現が、どこまで原作のこだわりに迫れるのか…という部分とか。 僕自身が演じた‟オヤジ(店主)“は、原作の漫画よりも熱く重い感じになったような気がします。原作のキャラクターはいい意味でもっと爽やかで薄味な人物のような…。でも、熱く重めになったというか、濃くなったのは、現場で相手の役者が演じる“お客さん”へのリアクションを積み重ねていったら、自然にそうなったんだと思います。 原作に忠実に、といっても、ドラマ独特のものになるというのはこういうことかな…と思います。 ■「監督の考える演出にまっさらな状態で100%従ってやる」と思ったきっかけ ――仲村さんが演じる“店主”については情報が少ない状態でした。彼は仲村さんにとってどういう人物だと解釈されて、演技に臨まれたのでしょうか。 実は最初、僕は「もしかしてこの人、 勘違いしたふりをしているだけで、本当は勘違いしてない人なんじゃないか」と思っていたんです。勘違いしてるふりをしてお客さんの悩みだったり、前に進めずに止まっている状態を解決してあげたり、癒してあげたり、背中を押してあげたり…。そのために勘違いしたふりをしているのかなと思っていたんです。 でもかなり早い段階で、プロデューサーや演出の方たちから「違います」「本当に勘違いしてるんです」と(笑)。その答えを聞いたとき、「だったらなおさら自分というものをあまり入れず、監督の考える演出にまっさらな状態で100パー従ってやる」と。“自分なりの隠し味”みたいなものを入れようとしない、と決めたというか…。 ――その方がよりキャラクターが引き出せるのでは、という目論見があったのですね。 ある意味、原作に忠実に脚本に忠実に。僕からは「こうしたら…」みたいな提案をしない方がいいだろうと。 ――中華料理屋のオヤジとして包丁を構えるシーンがばっちり決まっていました。仲村さんは銃を扱う役が多いイメージがあり、独自の美学があるのではと思っていたのですが、調理器具を使ってかっこよく見せるための努力やこだわりなどはあったのでしょうか。 オープニングタイトルの、包丁を構えるシーンは原作にあるカットで、できることなら完全コピーになるようにと、そういうところはいろいろ意識しました。 クランクイン前に料理学校で、今回の料理監修ご担当の方に“リアルな魚の捌き方”などを教わったりもしました。ただ現場ではやっぱり、リアルを追求するよりも、どうやって卵割るとカッコいいかとか、どうすれば面白くバカバカしくなるかというところを監督やカメラマン、撮影チームで話し合いました。「もうちょっと高いところから(食材を)落とした方が」とか、ハンバーグを中華鍋に入れるときも「フォームが大きい方が面白いんじゃないか」といった提案は、みんなで出し合って撮影しました。 ――料理を作ってるシーンは本当にわずかな秒数ですが、カッコいいなと思いました。そうした撮影チームの細部へのこだわりが活きていたんですね。 さっきも話しましたけど、原作では料理のシーンはあえて音の描写をしないのに、音が聞こえて来るような感覚になります。そこがとてつもなくカッコよくて…ドラマは別の手法になるとしても、原作のカッコ良さに追いつきたい、負けたくないという意識は多分(撮影チーム)みんなにあったような気がします。 結果として“やたら高いところから何かをする”所作が多くなっていきました。すだちを絞るシーンも、高めのところから、とそこは提案したものの、監督から「もっと高いところから」という指示が出ました(笑)。 ――さまざまな勘違いをする店主ですが、特に印象に残っている勘違いがあればお伺いしてもいいでしょうか。 最初に脚本を読んだとき、「修学旅行生を宇宙人に勘違い」する話に大笑いしたにはしたものの…これって…あり?と。それと樹海のようなところで死のうとしている男を、「世界を股にかける傭兵」と勘違いする」話は、勘違いするにはさすがに無理があるんじゃないか…と思いました。だから「店主」は、勘違いしているふりをしているのか、と。そう考えないとこのふたつの話は成立しないでしょって(笑)。 でも、このふたつの話がとてもヒントになったんです。 最初、宇宙人に勘違いする話を読んだとき、「あ、勘違いしたふりして、自分の居場所が見つからない、友達の中でもクラスでも浮いている存在の少年に『宇宙人なんだから宇宙人でいいんだよ』『僕らは地球人と思ってるけど、宇宙レベルではみんな宇宙人だからな』と彼の存在を肯定してあげる。優しさのある、ほのぼのエピソードなのかな」と思ったわけです。 傭兵に勘違いする話も「あんたは本当はすごい男なんだよ」と勘違いしたふりで声をかけて、生きる力を少しでも与えるみたいな話なのかな…」と思いました。 でも、全然そうではなかったんです。どっちの話の僕の解釈とも「違います」と、スタッフにバッサリやられました(笑)。 ■「他人からの理解」を俯瞰するという人生観 ――今回の作品では店主の格言風の“名言”が多く出てきます。その名言のなかで、仲村さんに響いた名言はありますか。 いくつかあるんですが、今パッと頭に浮かんだのは「いざ出陣と馬を背負う」ですね。「バカだな」っていう感じが最高です(笑)。すごく慌てているんだなっていう感じが伝わるし、とにかくビジュア ルが思い浮かびやすくて面白い。 原作には、各話に出てくる「店主の名言」解説ページもあるんですね。そこには本当に存在する格言と勘違いしそうな、もっともらしい解釈やら語源やら用法やらが書いてある。足立先生に「格言や解説、あれ全部フィクションですか」と確認したら、「全部フィクションです。作り物です」と返ってきました(笑)。 ――店主の勘違いにより物語が進む同作ですが、仲村さんがポジティブに感じる“勘違い力”や“鈍感力”を教えてください。 たしか上岡龍太郎さんの言葉だったと思うんですけど、何かのインタビューで「人と人とが理解し合うなんていうことは実はほとんどあり得ないことだ」とおっしゃっていたのを読んだんです。 「理解された」と思うのは「相手が自分にとって都合のいい誤解をしてくれている」ということ。そして「自分にとって都合の悪い誤解」をされていると「この人わかってくれてないな」となる。“世の中の人と人との間にある理解とか誤解というのは、ほとんどが相手にとって都合のいい誤解か都合の良くない誤解かのどっちかだ”という…。すごく納得しました。 まだ20代だったと思いますが、インタビューを読んでからは、誰が相手でも(「理解してくれた」ではなく)「都合のいい誤解をしてくれている」と思ったりしていましたし、いまになって少しずつそういう考え方が身に付いてきたかなと思っています。それと鈍感力。鈍感力は自分にとって「生きていく上で重要な力」で、それもかなりついてきたと思いますね。 ■大切にしている言葉は「お天道様は見ている」、頑張りはどこかで誰かが見ていてくれてる ――本作「飯を喰らひて華と告ぐ」を通じて、学んだことや得たものはありますか。 今作の近藤監督は、30歳になったばかりと聞いたんですけど。撮影のスタイルや手法みたいなものは、僕が仕事を始めた頃…当時、僕よりずっと年上でベテランの監督たちが貫いてきたスタイルとは全然変わってきてると思います。 「なんでこういう撮り方するのかな」「なんでこういう演出なのかな」と思ったりすると、鈍感力を発揮して、「わかんないけどやってみよう」「どこが面白いのかわかんないけど、とりあえずやってみよう」と歩みを進める。その結果、「こういう風にしたかったのか」「こういう風な撮り方をしてたのか」「こういう編集をしたかったからなのか」という発見がありました。今作に限らず、現場ではわからなかったことも、できあがったものを見たときにわかることは少なくないですね。 「自分が現場では理解できなくても、仕上がった作品が面白くなったり、その質を上げることは多々ある」っていう学びは、今回もありました。 ――今作は仲村さんが中華料理屋のオヤジ役ということが驚きました。作品に出演する際に「わからないからやってみよう」という気持ちは、今作のオファーの時にもあったのでしょうか。 僕はよく食べ物や飲み物にたとえるんですけど「焼肉が続いたから、そろそろ蕎麦が食べたいね」とか、「暑いからビール飲みたいね」に近いような気がします。 エリートとかカッコいい人の役が続くと、「なんかもうちょっとダメな人やりたいな」と思うことがあるんです。逆にダメダメな感じの人を演じたあとだと「いや、もうちょっと社会的に意味のある作品をやらねば」なんて思ったりすることもあるんですけど。多分、今回「店主役」をやると決めたのは、「なんか最近偉い人の役が多いな」みたいな流れだったのかと(笑)。 自分としては役者の仕事は、「俳優的食欲」に純粋に従ってやってきたんじゃないかなと思っています。 ――この物語は店主がトンデモな勘違いの果てによくわからない名言で、誰かの人生に関わっていく物語だと思います。仲村さんが大切にしている言葉があれば教えていただきたいです。 これもいくつかありますけど、年齢で言うと少し上の先輩に言われた「大丈夫、お天道様は見てるよ」という言葉です。言われたときはすごくうれしかったし、「たしかにそうだ」と感じました。 その一方で、その言葉を言われたときは「誰にも見てもらえていない頑張り」について虚しいと感じたり、「この頑張りは誰にも届いてないんだよな」なんてネガティブに考えていたことを見透かされたような感覚もあったのを覚えています。 それ以来、誰も見てないときに頑張ってる自分に対して、時々その言葉を思い出すんです。どこかで誰かが見ていてくれるぞ…と。