「これからも推す」! 改めて誓ったほどに面白い、時代小説の注目作とは?
『無間の鐘』で描かれる人間の「欲」
今も昔も人の世には欲があふれている。人が人として生きていく根源的力というのは、叶おうが叶わまいが得てしてこの「欲」から生まれてくるものなのだろう。 『無間の鐘』にでてくる欲は子どもが願う切ないものから人の生き死ににかかわるものまでその重さと深さはさまざまである。そのひとつひとつに十三童子のたくらみが絡まっていく。死んだあとも八万四千大劫もの長い間続く地獄と、自分の子どもが味わう今世での地獄、それと我欲を天秤にかけてしまう人間の愚かさ。目の前にある欲が、願いが叶うことが自分にとって幸せなのか。本当の幸せとは何なのか。それは自分の死後と子どもの地獄と釣り合うものなのか。十三童子の語りに思わず我が身を省みる。 例えば親孝行の鐘を撞いた権蔵。廻船問屋大黒屋の放蕩次男坊の、当世一の金貸しになりたいという願いは、意外と生真面目な質と運も手伝い十年ほどで叶えられる。願いが叶った後で払うはずの代償。それは、子どもを持つ前にはわからなかった「子どもが堕ちる地獄」という恐怖そのものなのだろう。けれどそんな眉間にしわのよりそうな辛気臭い話で終わらないのが高瀬乃一のいいところ。思わずニヤリとする展開が心地よい。 二つ目の、噓の鐘を撞いた勘治の話が実は一番好きだ。名の知れた錺職人だった祖父が倒れ、破落戸の父親にたかられながらも職人として細々と仕事を引き受ける毎日。そんな勘治の願いは父親との縁切り、のはずがなぜか病に伏し頭もぼんやりしていたはずの祖父が急に元気になり勘治に技を仕込み始める。おや? 願いを間違えたのか? といぶかりながら読むその先の思わぬ真実の見事さよ。 黄泉比良坂の鐘を撞いた平太、慈悲の鐘を撞いたお楽、真実の鐘を撞いた根太郎、と水主たちに語る話が繫がっていくと読者はこれがひとつの大きなうねりの中にあったことに気付かされる。無間の鐘は本当に欲を叶えてくれるのか。十三童子とはいったい何者なのか。なぜ業深き人間を無間地獄へいざない続けるのか。読み返すごとにいろんなものが見えてくる。いやぁ、面白い。高瀬乃一、これからも推す。 (出典 小説現代2024年4月号) ---------- 高瀬乃一『無間の鐘』 修験者の扮装をして国々を好き勝手に放浪する謎の「十三童子」。 役者と見まごうこの色男は、錫杖をジャラと鳴らし銀の煙管をふかしながら、欲に塗れた人間たちを誘う。―来世で地獄に堕ちてもよいなら、この鐘を撞け、と。 ただし、撞いた者は来世に底なしの無間地獄に堕ち、子も今生で地獄に堕ちる。 撞くか撞かぬは、本人次第。人間の本性を鮮烈にあぶり出す時代小説。 高瀬 乃一(たかせ・のいち) 1973年愛知県生まれ。2020年「をりをり よみ耽り」で第100回オール讀物新人賞を受賞。2022年『貸本屋おせん』で単行本デビュー。本作で第12回日本歴史時代作家協会賞新人賞を受賞。5月には早くも第三弾『春のとなり』を刊行(角川春樹事務所)。 ----------
久田 かおり(書店員)