中国の商売を勧められ あの事件直前に到着 町内会の名簿作成は順調、会社を立ち上げる 話の肖像画 夢グループ創業者・石田重廣<16>
《30歳のとき、大きな転機を迎えた》
出版社の仕事が順調になり、年商で5000万円くらい稼げるようになりました。名簿作成の仕事のどこがいいのかといえば、納期があるようでないところです。「締め切り厳守」じゃなくて、2カ月先か3カ月先にできるだけ早く納めて、って緩いんですよ。なのでこのころは2週間働いたら、1週間は海外を旅するという生活を送っていました。
ある日、お世話になっていた東京都北区のある町内会長から「石田くんはいつ電話してもいないな」って言われたんです。「東南アジアに行っていたんです」「へえ、何しに?」「日本にない食べ物とかお土産を見るのが楽しみなんです」
するとその町内会長は「そんなに海外に興味があるなら、これからは中国だよ。中国の知り合いを紹介するから、中国を舞台に商売したら」と提案してくれたんです。聞けば、この町内会長は日中交流の民間団体の副会長をされていて、中国に知り合いがいるという。
僕はお肉が食べられないので、行くのはフィリピンとかタイとか、海鮮料理のおいしい東南アジアの国ばかり。お肉料理が中心の中国には行ったことはなかったんです。紹介されたのは天津市にある貿易公司(会社)。当時の中国ではめずらしく、外国からの輸入品が並ぶ国際デパートを営業していました。初めての訪中は平成元年6月1日。何も知らない僕は、あの天安門事件の3日前に北京国際空港に降り立ちました。(聞き手 大野正利)
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