尾上右近ロングインタビュー! テーマは“親の愛”。8回目の自主公演に込めた思い
尾上右近が2015年より続けている自主公演「研の會」。彼が未経験の役柄に挑むファン垂涎の公演だが、第八回となる今回は、『摂州合邦辻』と『連獅子』を上演する。キャスティングまで右近がこだわり抜いて決める「研の會」、今回も思い入れが詰まっているようで……。意気込みと思いをたっぷりと語っていただいた。 【全ての写真】尾上右近の撮り下ろしカット
客席で寝ている人を見つけて嬉しかった
――昨年は劇場を、長らく上演していた国立劇場小劇場から浅草公会堂に移しての公演でした。 緊張感はありましたけど緊張はせず、リラックスしてできました。それほど出慣れている劇場ではないのですが、浅草という土地が大好きだということもあり、アットホームな空気感がありました。……僕、自主公演で初めて、客席で寝ている人を目撃したんですよ(笑)。いや、もともと客席でお客さんが寝ていても全く気にしないのですが、「自主公演を観に来て、寝るんだ!?」と思って。でもそれが嬉しかったんです。 ――嬉しかったんですか? なぜ? 普段の大歌舞伎などだと、多くの方は「歌舞伎を観に行く」という気持ちで劇場においでになって「あ、尾上右近が出てきた」と思ってご覧になってくださると思うんです。でも「研の會」は“尾上右近自主公演”と謳っている以上、尾上右近の公演じゃないですか。「さあ右近を観るぞ」と前のめりなテンションで来てくださる。それはありがたいのですが、いつもの公演のようなフラットなテンションで観て欲しいというワガママな右近くんが心のどこかにいて。 熱烈な拍手や熱い空気をいただくと嬉しい反面、自主公演でしかできないことをやっている、ここでしか観られない貴重なものを観ていると思われているのかなと悔しい気持ちもあった。僕としてはこれが歌舞伎の1ヵ月の本興行に繋がれば嬉しい、ここで伝え切るのではなく“繋がっていく”という気持ちで演じているんだけどな……という思いも抱いていました。だから寝ちゃっている人を見て、特別なものではない、普段の公演のように馴染んで観てくれているんだと思って嬉しかった。それが去年、初めて感じた思いです。 ――お客さんにとっては右近さんの「研の會」が日常的なものになってきた感覚がある一方で、右近さん側も肩の力が抜けてきた……ということもありませんか? そうなってきたのかもしれませんね。気の置けないメンバーと一緒だったというのもあったと思います。もちろん「この瞬間にかけるぞ!」という気合いもあるのですが、今の歌舞伎界の30代の歌舞伎俳優のひとりとして、この世代ならではのものを僕なりに打ち出して、歌舞伎界全体にいい流れや空気を作れたらいいなと思っています。そういう意味では今までのように「ここで成果を出すんだ!」という気負いより、繋がっていくというイメージでやりました。自主公演は特別な時間で特別な空間なのですが、歌舞伎俳優を名乗っている以上、自分もずっと続いてきた歴史の一部であるという感覚はあって当然だと思います。さまざまな感情の中で、昨年は“感謝”の割合が高かったなと感じています。 ――そして昨年「研の會」で上演した『京鹿子娘道成寺』は、今年の正月、歌舞伎座の本興行で再演されました。 いや、びっくらこきました(笑)。松竹の方に「正月に、壱太郎さんと右近さんのダブルキャストで『道成寺』を踊ってもらいたい」と言われた時には驚いたし、反応が早いなと思った。でもそこでまた、もうひとりの右近くんが「何びっくりしているんだよ」とイラっとしたんですよ(笑)。「いつ(本興行で)来ても当然だと思って自主公演をやっているはずなのに、お前はそんな腹積もりでやっていたのか」と。 ――謙虚なのか大物なのか(笑)。 そうそう、ジキルとハイドのように謙虚な自分と大物な自分がいて、「えっ!?」と返した自分が、自分で恥ずかしかったんです。でももちろん、半年足らずで歌舞伎座でできるというのは嬉しかったです。 ――「研の會」で一度やっていたからこそ歌舞伎座では落ち着いてできた、というようなことは。 歌舞伎座でやるというのは特別ですので「歌舞伎座だ!」という緊張感はあります。ただ特に『道成寺』のような演目は、僕ひとりではなく、音楽家さんや後見(衣裳を引き抜いたり小道具を渡したりする)との兼ね合いもあるし、舞台袖に引っ込んでからの着替えの段取りなどが重要になります。そのテンポを噛み合わせるのに神経を使うのですが、それは自主公演で経験しているから慣れている状態で臨めました。そうなると逆に、リラックスしてしまって勢いが削がれる危険性がでてきてしまうので、それは何で補って立ち向かうかという課題も出てくるのですが。 ――どう立ち向かっていかれたのですか。 約半年のスパンでの再演でしたが、自主公演から5年くらい経った感覚でやろうと思って踊ったんです。この間さまざまな経験を経て、僕の中で色々なものが膨らみ、自分も大人になって再び『道成寺』を踊っているんだ、と。昨年の「研の會」は『夏祭浪花鑑』と『京鹿子娘道成寺』の2本立てでしたので、さっきまで団七という役で血みどろ泥だらけになっていた人が、次の幕では綺麗な女形として登場する、その奮闘ぶりを観ていただいた。観る側もやる側も気分が高まってからの『道成寺』ですから、ある種の勢いまかせなところもあった。でも歌舞伎座の正月興行では他の俳優さんたちが一幕ごと紡いできた流れの中で最後の一幕として自分が『道成寺』を踊る。自主公演とは訳が違います。冷静さを心がけました。