検見川・秋山大樹監督#2 指導者としてのモットーは―― 「やればできるという自信を、選手たちに持たせること」
今年度、初の関東大会出場を果たした検見川サッカー部の歴史と伝統を築くうえで、多大な影響をもたらしたのが、かつての監督である水庫祥元先生だ。高校サッカー界の古豪、習志野を指揮してきた経歴を持ち、11年間の検見川での指導を経て、昨年から日本サッカー協会の育成コーチを務めている。 現在、検見川を率いるのは、水庫先生からさまざまな薫陶を受けた教え子のひとり、秋山大樹監督(英語科担当)だ。恩師を巡るエピソードや指導者としてのモットーはもとより、サッカーと勉強のバランスなど、進学校としての取り組みについても聞いた。 ――母校・検見川の監督に就任するまでの経緯を聞かせてください。 検見川を卒業して、法政大に進みましたが、自分では大学のサッカー部でプレーできるようなレベルではないと思っていましたし、もともと指導者を志していたんです。当時、検見川の監督だった水庫先生が声をかけてくださったこともあって、まずは学生コーチという形で母校の指導に携わるようになりました。 大学を卒業して、英語の教員として最初に赴任した先が千葉北です。そこで1年目からサッカー部の監督も任せてもらって、試行錯誤しながら、周りからいろいろなことを学びながら、4年間やりました。 母校の検見川にきたのは2022年なので、今年で3年目ですね。1年目は高1の担当コーチをしていました。その学年とともに持ち上がる形で指導を続けてきて、今年度の新チームに切り替わったところから本格的に監督を任されています。 ――「母校に戻って、サッカー部の監督を務める」というのは、指導者冥利につきるのでは? ありがたいですし、うれしいですね(笑)。いえば、今の選手は自分の後輩であり、学生コーチのときにかかわっていた選手も含め、ここ10年くらいの学年の選手をよく知っているわけです。試合になれば、高校時代に一緒に練習していた先輩や後輩、同期たちが応援にきてくれます。検見川を通じて出会った人たちとのつながりが深いです。保護者会の方々やOB、OGの皆さんも熱心に後押ししてくださるし、山本(直輝)コーチや南(昌弘)コーチをはじめ、周りのスタッフがいろいろな形でサポートしてくれますから、ありがたい環境のなかで、母校の監督をやらせてもらっているなと、日々、感謝しています。 ――サッカー部の監督といえば、保健体育科の先生が多いかと思います。英語科の担当というのは珍しいのでは? 僕自身、最初は体育の先生になろうかと思っていましたが、進路の話をしたとき、水庫先生から「必ずしも体育の先生でなくてもいいんじゃないか」といわれたのがひとつのきっかけですね。サッカーを通して海外にも興味がありましたし、高1の春休みにアメリカに短期留学したことも大きかったと思います。大学時代にはアイルランドに留学して、現地のスタジアムを見学したり、大学の構内でフラッと集まった人たちでフットサルやサッカーをやったりしました。こうした経験や交流を重ねていくうちに、英語とサッカーを教えるのが自分のなかのやりがいや価値観にマッチするなと感じました。 ――秋山監督にとって、恩師の水庫先生は、どんな方ですか? 水庫先生が習志野から検見川にきたのが、僕が高2のときでした。習志野ではプロになるような選手を育てていましたし、千葉県の国体チームを見たりしていましたから、これまでの自分の指導を押し通すこともできたんじゃないかと思います。でも、検見川では検見川にあったやり方で指導してくださいました。そこの柔軟性というか、引き出しの多さがすごいなと、指導者になった今、改めて感じます。サッカーに対する熱量がすごいし、情に厚く、人格者としての姿もたくさん見てきたので、本当に尊敬しています。ただ、ピッチを離れると、人のいいおっちゃんです。気さくな感じで(笑)。 ――初の関東大会出場を決めたとき、水庫先生から何かメッセージはありましたか? 県予選の準決勝と決勝の会場に足を運んでくれて、スタンドから応援していただきましたし、試合後「よくやったな」と祝福していただきました。あとで聞いた話ですが、関東大会の出場がかかった準決勝の日体大柏戦の終了間際には、もう泣いていたみたいです。高校時代はもちろん、大学生のころは学生コーチとしてお世話になりました。教員として検見川にきてからも、水庫先生の下で、多くのことを学び、刺激を受けました。僕にとって本当にかけがえのない存在です。 ――水庫先生との忘れられない出来事など? たくさんありますが、千葉北の監督になって4年目の総体予選で、検見川とぶつかり、勝ったことがひとつの思い出です。母校を倒すというのは、お世話になった水庫先生への恩返しになると考えていましたし、千葉北の選手たちにとっても“打倒・検見川”は目の前にある明確な目標でした。お互いに勝ち上がっていけば、公式戦で対戦できるというチャンスが何度かあって、それが実現したのが21年の総体予選。ラウンド16進出をかけて対戦し、1-0で勝ちました。 その翌年に僕が検見川に赴任したので、水庫先生と一緒に母校の指導ができることになり、うれしかったです。でも、次の年に水庫先生が日本サッカー協会の育成コーチに就任するため、検見川を離れたので、一緒に母校を指導できたのは1年間だけでしたね。 ――指導者としてのモットーは何でしょうか? 「やればできるという自信を、選手たちに持たせること」です。それは水庫先生からの引き継ぎ事項でもあります。相手がどんなに強かろうと、ビビらず、戦ってほしいし、チャレンジしてほしい。サッカーで得た自信は勉強につながったり、日常生活にも表れてきて、見違えるくらいグンと伸びる選手がいるので、そういう環境を作っていくのが指導者である自分の役割だと考えています。 ――検見川は進学校のひとつでもあるわけですが、サッカーと勉強のバランスについて、どのように取り組んでいますか? 年間を通して、サッカー漬けではないですね。オンとオフをうまく使い分けるようにしています。たとえば、高3になると、大学受験を控え、朝学習をしたいという選手がいるので、そこを尊重して朝練習から朝学習に切り替えています。放課後の練習が終われば、それぞれ予備校にいったりしますし、勉強の時間をしっかり確保できるように調整しています。県リーグがいったん中断する夏休みの前半に1週間とか、2週間とか、夏期講習のためにまとまったオフをとって、県リーグが再開する前に、また練習を始めるといった形です。その練習にしても午前7時半から2時間とか、集中してやったら、あとの時間の使い方は選手たちに任せています。 このようにメリハリをつけたやり方で、結果が伴ってくれば、選手たちの意識もどんどん高まっていくでしょうから、関東大会に出られたことは本当に大きな意味がありました。チーム全体に多くの効果や影響をもたらしてくれたと感じます。 (文・写真=小室功)