家庭内暴力から逃れた母が母子寮で死亡…一家は離散し児童養護施設へ 29年を経て男性が伝えたい思い【阪神・淡路大震災から29年】
6434人が犠牲となった阪神・淡路大震災から17日で29年となりました。地震が起きた午前5時46分、神戸市の東遊園地で行われる追悼行事「1.17のつどい」で今年の遺族代表として言葉を述べるのは、震災で母親を亡くし、児童養護施設で育った34歳の男性です。男性の人生を支えたもの、そして、いま伝えたい思いとは― 【動画】約20年ぶりに再会した兄弟…阪神・淡路大震災から29年 母を亡くした男性の人生を支えたもの
■家庭内暴力から逃れ「神戸母子寮」で被災し母が死亡 一家は離散し児童養護施設へ
「震災で母を亡くして、その後、家族がバラバラになったんですけれど…1人でも元気になってくれる方がいればという気持ちで、今回、(遺族代表を) 引き受けさせていただきました」 1月10日、記者会見でいまの心境を語った鈴木佑一さん(34)。 29年前、夫の暴力や貧困などに悩む母親と子どもを受け入れる神戸市兵庫区の「神戸母子寮」で佑一さんは暮らしていました。母は、佑一さんと兄を連れて、生活費を浪費し酒を飲んでは暴れる父親から逃れてきたのです。
震災により、昭和初期に建てられた木造2階建ての母子寮は全壊し、母親2人、子ども2人、そして職員のあわせて5人が犠牲になりました。 佑一さんの一家が暮らしていた1階は、2階に押しつぶされました。佑一さんは目が覚めると、全く動けない状態で何時間も中に閉じ込められましたが、誰かが「ここに人がいる」と言って、がれきの中から救出されたといいます。佑一さんと兄は無事でしたが、母は冷蔵庫の下敷きとなり、亡くなりました。 鈴木佑一さん 「お母さんは全然違うところにいたんですよ。パッと見たら布団にくるまっている状態で、死んでいると分かりました。見た瞬間に、亡くなっていました」
母の富代さん(当時44)は面倒見がよく、周囲から頼りにされる存在だったといいます。しかし佑一さんは、当時まだ5歳。母のことは、おぼろげにしか覚えていません。 母と住まいを同時に失った佑一さん。引き取られた先は、児童養護施設でした。父は、2人は育てられないと、兄だけを引き取り、20歳になるまで、この施設で過ごしました。 佑一さんを預けることを決めたのは、母子寮の元職員・岡本由美さん(76)。約2年にわたり佑一さんの家族を支えていました。
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