米ケンタッキーダービーとBCクラシックで3着!天才ジョッキー坂井瑠星″歴史を動かした男″の告白
20代半ばにしてすでにGI11勝の新星が明かす本音
5月4日、アメリカ・ケンタッキー州のチャーチルダウンズ競馬場。この日、日本競馬の歴史が動いた。 天才ジョッキー坂井瑠星 インタビューで見せた自然体の素顔【写真】 アメリカ最大のレースである「ケンタッキーダービー」の最後の直線。鞍上の坂井瑠星(りゅうせい)(27)に導かれたフォーエバーヤング(3歳・牡馬)は強烈な末脚で先頭馬に迫っていく。日本のホースマン達の間で「好走は不可能」と言われ、着順掲示板にすら載ったことがないビッグレースで、フォーエバーヤングはハナ+ハナ差の3着でゴール板を駆け抜けた。 馬主は、サイバーエージェント社長の藤田晋氏(51)。調教師は坂井が師と仰ぐ矢作芳人調教師(63)。3者の想いが詰まった挑戦でもあった。 デビュー9年目を迎えた坂井は、押しも押されもせぬトップジョッキーの一人となった。20代半ばの若手ながらすでにGIを11勝(日本調教馬限定レース含む)、海外重賞も4勝を挙げている。今年度はJRAで94勝と、リーディングでも4位につけているのだ(10月6日時点)。 幼い頃から競馬が身近な環境で育った。父の英光さんは大井競馬の騎手(現・調教師)、叔父も笠松競馬の騎手という競馬一家だった。 「ジョッキー以外の選択肢が浮かんだことは一度もない。物心がつく前、幼稚園の卒業アルバムに『将来は騎手になる』と書いていたそうです」 競馬学校を卒業後、所属先となったのが矢作芳人厩舎だった。坂井の両親に挨拶に来た矢作と、こんなやり取りがあった。 「先生は僕の両親に『私のことを本当の親だと思って預けて下さい』と仰(おっしゃ)って下さいました。僕にとっては師匠でもあり、本当の父のような存在です。挨拶の仕方から、仕事への向き合い方など何もかもイチから教えて頂いた。今でも一番厳しく接して下さるのが先生なんです」 ルーキーイヤーに関西の最多勝利新人騎手に輝くと、2年目は単身オーストラリアに渡り、腕を磨いた。 1年間のオーストラリア生活を経て、’19年は人気薄の馬で立て続けに重賞を制した。翌年にはGIタイトルを獲得。’21年からは海外での騎乗機会が増えていく。そんな折に出会ったのが、駿馬・フォーエバーヤングだった。 最初の印象は、「大きな馬だな」という程度だった。調教でも特別目を引くものはなかった。坂井曰く、「厩舎のスタッフも同じような感想だった」という。しかし、新馬戦の返し馬(コース内ウォーミングアップ)の際に衝撃が走った。数多の名馬の背中を知る坂井でも、初めての感覚だった。 ◆UAEは″勝って当然″ 「一度スイッチが入ると、明らかにスピードのレベルが上がる。他の馬とは『全然違う』と返し馬でわかった。これは大きいレースを獲れると確信しました」 予感は当たった。2連勝後に挑んだ「全日本2歳優駿」で2着に7馬身差の圧勝劇。海外の「サウジダービー」も完勝し、「UAEダービー」に臨んだ。前日には藤田オーナーも応援にかけつけた。 「先生もオーナーも、スタッフさんもすでに次のアメリカ遠征の話をしていました。みんな海外で勝つのがどれくらい大変かをよく分かっているのに、UAEは勝つ前提なんです。僕からすれば超プレッシャーで、やめてよ、と(笑)」 小さくない重圧をはねのけて、坂井は優勝という結果を残した。藤田が愛馬を坂井に託すのは、得も言われぬ信頼関係が存在するのだろう。ケンタッキーダービーも現地の騎手ではなく、坂井に背中を任せた。栄光にはわずかに届かなかったが、たしかに歴史は動いた。 「あそこまでいったので勝ちたかった。今後の騎手人生であんなチャンスはもうないかもしれない。そういうレベルのレースです。凱旋門賞やドバイ、アメリカと、当たり前に乗っている存在になりたい。そのためにはやることだらけ。本当にまだまだ足りないと痛感しました」 ストイックな言動が際立つ坂井が、競馬以外へ関心は示すことは少ない。それを表すこんなエピソードがある。 「お金に関しては矢作先生の奥様に管理をお願いしているのですが、口座にいくら入っているか知らないんです。『もっとお金を使いなさい』と言われるんですが、興味が沸かなくて。競馬を取ると本当に何も出来ない人間なんですよ。先生に『プロなんだから取材で面白いことを言え』とよく怒られています(笑)」 坂井とフォーエバーヤングは再び渡米し、11月2日の大レース「BCクラシック」でも3着につけた。 「自分が目指すレベルにはまだ足りない。毎週の小さな積み重ねを大事にしたい」 ただ前だけを見て――。坂井は″チーム矢作″と偉業達成へ照準を定めている。 『FRIDAY』2024年11月1・8日合併号より 取材・文:栗田シメイ
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