「アイドルレーサー」白井美早子さんが強制引退… 初優勝は「50万車券」もケガに苦しんだ競輪人生
2023年末、ガールズケイリン選手3人が代謝制度により引退した。1期生の白井美早子、2期生の田仲敦子、12期の奥平彩乃の3選手だ。今回はガールズケイリン創世期の功労者である白井のメッセージを紹介する。陸上競技から自転車競技に転向し、ガールズケイリン選手として11年のキャリアを送った。最後は落車によるケガがきっかけで成績不振に陥り、12月末をもって強制引退。ケガに苦しんだ選手生活だったが、自転車競技との出会いもまた、ケガがきっかけだった。
ケガが引き寄せた自転車競技との出会い
小さいころから足が速く、抜群の運動神経だった白井美早子。学生時代は陸上競技に熱中し、大学も陸上競技で進学したい学校があったという。 しかし高校3年生のとき、右足首の靭帯を負傷し手術。陸上競技の成績は伸び悩んでしまった。志望校への進学は諦め、高校付属のびわこ成蹊スポーツ大学へと進んだ。 そして大学の低酸素トレーニングに競輪選手が来ていたことがきっかけで、白井は競輪を知ることになる。さらに、ゼミが一緒だった青木愛(元アーティスティックスイミング選手・2008年北京五輪出場)の存在も、その興味を後押しした。 「北京五輪は自分もテレビで応援していました。ダイジェスト番組で青木さんを見ていたら、ちょうど永井清史さんが銅メダルを獲得した男子ケイリンの映像が流れたんです。ケイリンは日本発祥のスポーツで、女子の自転車競技もあるということをそのとき知りました」 北京五輪終了後には一宮で行われたオールスター決勝(優勝・伏見俊昭)もテレビで観戦。興味はふくらむばかりだった。 「大学を卒業した後のイメージが湧いていませんでした。女子の競輪はまだなかったけど、まずは自転車競技をやってみようと」 そうして陸上競技から自転車競技に転向した白井。大学4年になると、大会にも出場するようになった。
1期生としてデビュー直前に手術
大学卒業後の2010年秋にガールズケイリン1期生の募集が始まり、2011年冬に試験が行われた。白井は無事合格し、同年春に102期生として日本競輪学校へ入学した。 当時は教える側も教わる側も手探りだった競輪学校。学校生活はどうだったのだろうか。