「アイドルレーサー」白井美早子さんが強制引退… 初優勝は「50万車券」もケガに苦しんだ競輪人生
「楽しかったことが多かったけど、練習は苦しかったですね。とにかく乗り込み、バンクを120周することもありました。当時はきついし苦しかったけど、今思えばとても大事な練習だったと思います。あの乗り込み練習のおかげで、レースの周回中の追走技術は身についたと思う。日本競輪選手養成所になってからは乗り込みの練習が減っていると聞いています。追走が上手にできないとか、レース中の不用意な落車とかにつながっている気もします。私たちは基礎練習がしっかりできたことは良かったと思います。楽しかった思い出はガールズケイリン普及のイベントで全国各地に行けたことですね。とにかく同期に恵まれていました」
アイドルレーサーとして注目集めるも…
競輪学校の在校成績は7位。華やかなルックスも相まって1期生の“広告塔”として注目を集めた。デビュー戦からは4場所連続で決勝進出し、5場所目の広島では決勝入りは逃すも最終日の一般戦で初白星を挙げた。 翌年からは素質と才能にあふれる後輩たちが続々とデビュー。車券には貢献するも、優勝になかなか手が届かない、悔しい状況が長く続いた。 すると再び白井を悲劇が襲う。デビュー5年目の夏、テレビ収録中にアキレス腱を切る大ケガを負ってしまったのだ。このケガで心にも大きな傷を負った。 「もう選手をやめようと思いました。5月の松戸で準優勝を挙げて、7月は同期の藤原亜衣里さんがデビュー初優勝を達成した。自分も続こう、と思ったタイミングでのケガで…。復帰する自分の姿がまったく想像できず、もう無理かなと」 しかし、そんな本人の不安とは裏腹に、白井の復帰のため力を尽くしてくれる人たちの姿があった。 「支えてくれた周りの方々のほうが諦めていませんでした。川崎の関東労災病院の整形外科でお世話になったんですが、いろいろ声をかけてもらえて…。それでリハビリも頑張れました」
苦しい1年の終わりに悲願かなう
レース復帰は2017年3月小倉。まだ万全ではなかったが、復帰に踏み切った。 「競輪選手には代謝制度があるので、点数が取れなければクビになってしまいます。これ以上休んでしまうと、点数が危ない。だから走りながら調子を戻していくしかなかったんです」 なかなか予選を勝ち上がれない苦しい開催が続いたが、根気強く練習をして競走に臨んでいた。地道な繰り返しで少しずつ成績が上向き、同年12月のいわき平で悲願の初優勝を達成した。 「優勝は複雑でした。いわき平の決勝はアクシデントがあったので…。でもレース後に落車してしまった選手からも『おめでとうございます』って声をかけてもらえてホッとしました。すごく苦しい1年だったけど、最後に初優勝できたことはやっぱり強く印象に残っています」 優勝したレースの3連単は53万8,620円と大穴車券に。アクシデントは残念だったが、白井を応援し続けていたファンに“夢”を届けられたのではないだろうか。(後編へつづく)