コーヒーで旅する日本/九州編|家業の温泉宿でバリスタとしてできることを探して。「H_NNTO COFFEE」で味わう自愛の一杯
全国的に盛り上がりを見せるコーヒーシーン。飲食店という枠を超え、さまざまなライフスタイルやカルチャーと溶け合っている。なかでも九州・山口はトップクラスのロースターやバリスタが存在し、コーヒーカルチャーの進化が顕著だ。そんな九州・山口で注目のショップを紹介する当連載。店主や店長たちが気になる店へと数珠つなぎで回を重ねていく。 【写真】南阿蘇村で自分の店を持つことが長年の夢だったという 九州編の第103回は熊本県南阿蘇村にある「H_NNTO COFFEE(ホントコーヒー)」。温泉好き、特に秘湯好きには全国的に知られている温泉旅館「地獄温泉 青風荘.」の敷地内という、コーヒーショップとしては一風変わったロケーション。 店主の河津拓さんは青風荘.の次男として生まれ、もともとは父親の背中を追いかけ、料理人を目指していたという。ただある出会いからコーヒーに興味を抱き、今はバリスタの道へ。カフェに関する専門学校在学中から着実に経験を積み、明確に自身が考える“おいしいコーヒー”の指標を持っている。さらに店では味わいの多様性を楽しめるように手間ひまも惜しまない。実家である南阿蘇村の温泉宿を拠点に、どんなコーヒーショップでありたいと考えているのか。 Profile|河津拓(かわつ・たく) 熊本県南阿蘇村生まれ。中学生のころから料理人を目指し、地元の農業高校に進学。農業高校の恩師が南阿蘇村でコーヒーの木を栽培し、チェリーを収穫していたことから、コーヒーに興味を抱く。福岡市内の専門学校に進学し、学生時代からmanucoffeeでアルバイト。卒業後はそのままmanucoffeeに就職し、およそ7年にわたり、バリスタとして抽出の技術を磨き、カフェ勤務の経験を積む。専門学校の同級生であり、パートナーの美宝さんとの結婚を経て、2024年4月、「「H_NNTO COFFEE」を開業。 ■湯治宿にあるコーヒーショップだから 「H_NNTO COFFEE(ホントコーヒー)」という屋号、そしてロゴと、すべてがユニークというのが、最初に抱いた印象。いきなりだが、屋号やロゴに込めた思いを尋ねてみた。「僕の実家でもある『地獄温泉 青風荘.』は昔から湯治場として親しまれてきました。湯治は文字通り、温泉に入って療養し、体の不調を治すこと。もちろん、温泉に浸かることで心も休まりますし、言わば本来の自分、本当の自分を取り戻せる場所だと思うんです。昔からこの温泉に根付き続けるそんなマインドをコーヒーショップにも持たせたいと思い、『H_NNTO COFFEE(ホントコーヒー)』と名付けました。欧文(ローマ字)の方はなぜ“HONNTO”としなかったというと、“O”の部分に“I”を入れればヒントと読めますし、お客さまそれぞれで自由に解釈していただけけたらと思いました」と河津さん。 ひらがなの“ほんと”を表したロゴは鳥、虫、魚をモチーフにしており、これは南阿蘇村で生まれ育った河津さんの身近にあった豊かな自然を表現しているという。なるほど。屋号の理由やロゴのモチーフを聞くと、ぶれないコンセプトを掲げていることがわかる。 ■この場所ならではのコーヒー、食を提案 そんな「H_NNTO COFFEE」は旅館の敷地内にあるものの、誰でも気軽に利用OK。温泉を日帰り利用して、湯上がりにコーヒーやドリンクを楽しむ人も当然いるし、コーヒーだけを目当てに訪れたという人もいる。manucoffeeで長年バリスタとして腕を磨き、抽出方法によって味わいが大きく変わるといった多様な知識があるだけに、同店はコーヒー豆が選べるほか、淹れ方もセレクトできるようにしている。 その名もJUST FOR YOUコーヒー(550円)。ペーパードリップ、ネルドリップ、フレンチプレス、エアロプレスと、4種の抽出方法から好みで選ぶことができる、おすすめのブラックコーヒーだ。オペレーションの観点からも抽出方法が多いのは大変だとは思うが、河津さんはそれもまた、“本当の好き”、“意外に好きかも”を、見つけることになるきっかけになればと手間暇をいとわない。 さらにメニュー表をじっくり見ていると、おもしろいコーヒーがあった。それがカスカラブレンドコーヒー(650円)。前述した河津さんの高校時代の恩師が南阿蘇村で育てているコーヒーチェリーの外皮・果肉(カスカラ)を、深煎りコーヒーにブレンドしたもので、河津さんはより南阿蘇のコーヒーらしさを表現するためにカスカラを追加。そのコーヒーをネルドリップで抽出して提供している。日本国内では沖縄で栽培されたコーヒー豆がここ最近耳にするようになってきたが、熊本県でもコーヒーが栽培されていることに驚かされる。 「後藤コーヒーファームのカスカラブレンドコーヒーのみだとコーヒーの味わいが強く出過ぎてしまうため、酸味があるカスカラをさらに追加して抽出するレシピを考案しました。抽出はペーパードリップなども可能ですが、コーヒー由来のまろやかさ、丸みを表現するためにネルドリップで淹れています。後藤コーヒーファームのカスカラブレンドコーヒー、ドリップバッグは一部で販売されていますが、こうやって店で飲めるのは、今のところ当店だけです」と河津さん。 まさか南阿蘇村において、地元とゆかりがあるコーヒーを飲めるとは。通常はお茶として飲むカスカラティー特有の酸味をほのかに感じられ、シンプルに深煎りのコーヒーとしておいしいので、味にこだわりを持つコーヒー好きにもぜひ味わってほしい。 JUST FOR YOUコーヒーはブレンドを2種、ニカラグア、デカフェの全4種の豆を準備し、今回は同店で最も浅煎りのニカラグアをチョイス。抽出方法は河津さんからアドバイスをいただき、エアロプレスにしてみた。さすが前職からさまざまなコーヒーに触れ、日々抽出を行ってきたバリスタだけに、フルーティーさ、余韻の甘さといったニカラグアの特徴がとても引き立っている。これはクリーンに抽出できるエアロプレスによるところが大きい。 コーヒーに詳しくなくても、河津さんと奥さんがおすすめの豆と抽出方法の組み合わせの提案をしてくれるので、気軽に聞いてみてほしい。きっと新たなコーヒーの魅力との出合いが待っているはずだ。 「H_NNTO COFFEE」の魅力はブラックコーヒーだけじゃない。阿蘇の食材を多用したフード、ドリンクにも注目したい。 「地獄温泉 青風荘.」の「すずめの湯」をイメージした地獄のコーヒー牛乳(550円)は阿蘇市のブランド牛乳・ASO MILKにこだわったり、奥阿蘇マスの自家製スモークサンドセット(1650円)も高森町の清らかな渓流で養殖されたマスを使っていたり、阿蘇エリアの魅力を食を通して発信。 購入したコーヒーやフードは「H_NNTO COFFEE」のテラス席で楽しむのもいいが、「地獄温泉 青風荘.」のライブラリーやレストランなどでイートインすることができるので、そういった場所で楽しむのもおすすめだ。 ■被災した経験をプラスの方向に 福岡市の専門学校に進学し、manucoffeeで働いていたときから、「いつかは故郷の南阿蘇村でコーヒーショップをやりたい」という目標を持って歩んできた河津さん。ただ、その夢を叶えるための道のりは決して平坦ではなかった。2016年(平成28年)4月に発生した熊本地震で、実家である「地獄温泉 青風荘.」(当時は清風荘)も被害を受けた。さらにそのおよそ2カ月後の豪雨によって起こった土石流が追い打ちをかけたのだ。3つあった源泉のうち2つが土砂で埋まり、建物も大きく損壊。ただ、唯一残った源泉・すずめの湯を柱に2019年(平成31年)4月から新たなスタイルの日帰り入浴をスタートしたときは多くのメディアに取り上げられ、震災からの復興のシンボルの一つになった。その後、宿泊も順次再開し、今に至っている。 実家である宿が地震、豪雨による被害を受けた時期、河津さんは福岡市でバリスタとして働いていたそう。「状況的にすぐに駆けつけることができなくて、気をもむことしかできなかったですね。自分の地元でコーヒーショップを開くという目標はその当時から抱いていたのですが、正直それどころじゃなくて。ただ、震災によって大きな被害を受けた故郷に、僕なりの形で恩返ししたいという気持ちをさらに強くしたのは事実。想定外なことはたくさんありましたが、その数年の間に僕の中で、ここだからこそできるコーヒーショップのカタチをイメージしてきました」 信念を貫いた河津さんをはじめ、旅館を再興させ、河津さんのコーヒーショップを受け入れられる施設へと生まれ変わった「地獄温泉 青風荘.」もすごい。新しい温泉のカタチを表現したすずめの湯に始まり、さらに現代的な湯治のスタイルを提案し、宿泊者向けのレストランも新たに開業。ただ単に1泊2食付きという宿泊体験に終わらない温泉宿を形成したからこそ、そこにコーヒーショップがあってもなんら違和感はない。むしろコーヒーショップがあることで、この場所をさまざまな目的を持って訪れる人々に、さらなる魅力的な選択肢が広がる。このスタイルができるのは同宿が親族での営みを長きにわたり続けてきたからこそで、さらに各々に新しいエッセンスを加えてきたからだ。その一つにコーヒーというホッとひと息つける要素を加えた河津拓さん夫妻。きっと、この場所だからこそのコーヒー体験を今後さらに発信していくことだろう。 ■河津さんレコメンドのコーヒーショップは「食堂喫茶 Alpha」 「大分県中津市にある『食堂喫茶 Alpha』は専門学校時代の同級生の吉田さんが店主を務める喫茶店です。吉田さんは先天的に耳が聞こえないのですが、学生時代からとても頑張り屋さんで、常に前向き。吉田さんの姿勢にいつも元気をもらっています」(河津さん) 【H_NNTO COFFEEのコーヒーデータ】 ●焙煎機/なし ●抽出/エスプレッソマシン(LA MARZOCCO)、ハンドドリップ、ネルドリップ、フレンチプレス、エアロプレス ●焙煎度合い/中煎り~深煎り ●テイクアウト/あり ●豆の販売/なし(ドリップバッグは1個300円) 取材・文=諫山力(knot) 撮影=坂元俊満(To.Do:Photo) ※記事内の価格は特に記載がない場合は税込み表示です。商品・サービスによって軽減税率の対象となり、表示価格と異なる場合があります。
【関連記事】
- コーヒーで旅する日本/九州編|誰もが肩の力を抜いて、のんびり憩える場所に。「ROTARY COFFEE」に緩やかに流れる時間
- コーヒーで旅する日本/九州編|自身が感銘を受けたコーヒーのおもしろさを伝える。「Coffeedot」が発信する体験の共有
- コーヒーで旅する日本/九州編|主役にも脇役にもなれるコーヒーだから。柔軟に自分たちに合ったやり方で歩む。「fasola」
- コーヒーで旅する日本/九州編|“青”に込めたのはコーヒーの可能性。「COFFEE BLUE」に流れる心地よい時間に店主の人となりを見る
- コーヒーで旅する日本/九州編|クローズドに見えて実はオープン。メールから始まる「ANTHEM ROASTERY」との緩やかな繋がり