大谷翔平「誇りに思う」仲間と激動シーズン駆け抜け世界一「何回やってもいい」来季は二刀流復活
<ワールドシリーズ:ヤンキース6-7ドジャース>◇第5戦◇30日(日本時間31日)◇ヤンキースタジアム 【動画】ドジャース世界一 大谷翔平、フリーマン、ベッツら歓喜のジャンプ 【ニューヨーク30日(日本時間31日)=斎藤庸裕】ドジャース大谷翔平投手(30)が、メジャー7年目で悲願の世界一を達成した。 左肩が万全ではない状態で、ヤンキースとのワールドシリーズ第5戦に「1番DH」で出場。4打数無安打だったが、全員野球が結実し、序盤の5点ビハインドをひっくり返した。大逆転劇で4勝1敗とし、ア・リーグ王者の名門を下した。10年契約の移籍1年目、真美子さんとの結婚発表、元通訳との離別、前人未到の「50-50」達成など、激動のシーズンを全力で駆け抜けた。来季は二刀流復活を目指す。ド軍で築く黄金時代へ-。1年目で、そのスタートを切った。 ◇ ◇ ◇ 勝って終えることを、ずっと待っていた。頂点に立ち、最後に、みんなと思いっきり笑う-。大谷がやっと、願い続けた思いを実らせた。優勝の瞬間、三塁側ベンチの端から一目散にマウンドへ走った。歓喜の輪へ真っ先に飛び入る姿は、この上ない喜びの表れだった。もみくちゃになるのも、その一瞬一瞬がうれしい。1チームしか味わえない世界一のステージに上がり、重みがある優勝トロフィーを全員で夜空へ掲げた。 「素晴らしいチームを相手にしながら、自分たちの野球ができたことに誇りを持ってますし、今日、こういう風に最後まで勝ち切れた。本当にこのチームを誇りに思ってます」 有終の美を飾り、胸を張った。移籍1年目、激動のシーズンを振り返り「長かったです」とひと言。そして少し笑った。4日前に左肩を亜脱臼し、最後の最後で試練が訪れたが、全178試合を気力で戦い抜いた。「何よりも必要だと言ってもらえた、プレーしてほしいと言ってもらえたことがすごく光栄。そこに対して、そう言ってもらえたことに感謝してますし、そういう気持ちが1年間、自分の中で頑張ってこられた要因かなと」。シンプルに、勝つために必要とされ、期待に応えること-。それがいつも、原動力だった。 チームの好結果には結びつかなかったが、過去6年間も全力を尽くしてきた。投打の二刀流として、勝つことを最優先とする姿勢は不変だった。思い描くように行かず、時に怒り、何度も悔しがり、苦難の連続だった。それでも前を向き続け、耐えた。1人の野球人として、常に上を目指すマインドを忘れることはなかった。強く抱き続ける思いはやがて、結実する。それが、ド軍の移籍1年目に重なった。日本のファン、そして真美子夫人や愛犬デコピンら家族の支えにも感謝し、「本当に最後こういう形でシーズンを終えられたことが、本当にうれしく思います」と素直に喜んだ。 昨年のWBCでは侍ジャパン、今季は伝統球団のドジャースを世界一に導いた。10年契約の2年目となる来季は、二刀流復活を目指す。この先、投打で最強の黄金時代を築いていく、その中心となることを大谷は夢描いているはずだ。優勝後のインタビューで言った。4度も味わったシャンパンファイト。 「今後またこうやってできるように、もっともっと何回やってもいいと思うので、また頑張りたい」 世界一の称号を得ても、大谷翔平伝説は終わりではない。むしろ、これが始まり。夢の果てまで、まだまだ道は続く。 ▽広島黒田球団アドバイザー(ドジャース、ヤンキース両軍でプレー)「両チームともスタッフの方とかお世話になった方とか連絡を取る人がいるので、複雑でした。日本のファンにとっては、大谷選手がいるチームが世界一になって良かったんじゃないかなと思います」 ▽日本源田(けがをおしながらプレーしたドジャース大谷に)「やっぱり、かけていたんじゃないですか。ワールドシリーズに気持ちも入っていたと思いますし。すごいっすよね」 ◆ロサンゼルス・ドジャース 1890年にナ・リーグに参加。当初はニューヨークのブルックリンに本拠地を置き、47年に黒人初大リーガーのジャッキー・ロビンソンと契約。55年にワールドシリーズ初制覇。58年にロサンゼルス移転。日本人選手は95年に野茂英雄が初めて在籍した。リーグ優勝25度、ワールドシリーズ優勝8度。チーム名は、市民が路面電車を避けて歩いたことから「よける人」の意味。ロバーツ監督は沖縄出身で母親は日本人。