50万人の群衆!164年前の米国人が熱狂、訪米した「サムライ」の歓迎特大パレード
(柳原 三佳・ノンフィクション作家) ■ サムライ見たさに詰めかけた50万人 4月15日、午後7時から放映された『クイズプレゼンバラエティーQさま!!』(テレビ朝日)。この日は、「カメラ誕生200年! 写真に残る歴史の決定的瞬間 BEST15から出題3時間スペシャル」と題して、歴史的な人物や出来事を収めた数々の興味深い古写真が公開され、それぞれのエピソードについてのクイズが出題されました。 【写真】1860年、ブロードウェイで撮影された日本人使節の歓迎パレード(ナタリア・ドーン氏提供) 実は、この日紹介された決定的瞬間写真の中に、幕末から明治初期を生きた本連載の主人公「開成をつくった男 佐野鼎(かなえ)」も登場していました。その一枚は、「アメリカでまさかの侍フィーバー」と題して、ベスト2に輝いた以下の写真です。 これは、今から164年前の1860年、アメリカ・ニューヨークのブロードウェイで行われた盛大な歓迎パレードの瞬間を撮影したものです。番組では「当時のアメリカ国民は日本人を見た経験がなく、日本刀を携えたサムライを一目見ようと、およそ50万人もの市民が訪れた」と解説していました。 この写真からもわかる通り、多くのニューヨーク市民がビルの窓や屋上から身を乗り出し、ハンカチや国旗を振っている様子がわかります。路上にもあふれんばかりの人垣ができ、いかに賑わっていたかがよくわかります。
それにしても、1860年といえば日本はまだ江戸時代です。その当時に、俯瞰でこのような鮮明な写真が撮影され、当時の様子を今に伝えてくれているのですから驚きです。 ■ 日本にとって初の公式外交 ところで、ニッポンの侍たちはなぜこの日、ニューヨークにいたのでしょうか。「一般社団法人 万延元年遣米使節子孫の会」のサイトから、その解説文を紹介したいと思います。 明治維新を8年後に控えた1860年(万延元年)。江戸幕府は初代駐日総領事・ハリスの勧めもあり、正使の新見豊前守正興(しんみぶぜんのかみまさおき)、副使の村垣淡路守範正(むらがきあわじのかみのりまさ)、目付の小栗豊後守忠順(おぐりぶんごのかみただまさ)をはじめとする77人の若き使節団を米国に派遣しました。 その主目的は、「日米修好通商条約」の批准書交換でした。250年もの長きにわたって続いた「鎖国」が解かれてから6年、彼らの渡米は日本にとってまさに初めての公式外交であり、外国の文化や文明との本格的な接触の機会となったのです。 以下の写真は、使節団がワシントンのネイビーヤード(海軍工廠)に到着したときに撮影されたものです。 当時加賀藩士だった佐野鼎は「従者」という立場でしたから、重鎮たちが並ぶこの写真には写っていませんが、彼も77人の使節の一人として、ワシントンからニューヨークへと移動し、あの日、馬車仕立ての盛大な歓迎パレードの中に身を置いていたのです。