江原啓之「もし余命宣告を受けたら…」終活、最期の迎え方についての持論を語る
スピリチュアリストの江原啓之がパーソナリティをつとめ、番組パートナーの奥迫協子とお送りするTOKYO FMのラジオ番組「Dr.Recella presents 江原啓之 おと語り」。 今回の放送では、リスナーから届いたさまざまな相談に、江原がアドバイスを送りました。 【写真を見る】(左から)江原啓之、奥迫協子。番組収録スタジオにて
<リスナーからのメッセージ>
安楽死についてどう思うか、ラジオを聴いてから考えました。前提に「安楽死」と「尊厳死」の違いを理解することも大切だと思います。 私の祖母は心臓が丈夫で、寝たきりの状態で8年間生きました。介護をしたのは母で、私は少し手伝うくらい、床ずれ防止に寝返りさせることやご飯を食べさせることなどでした。よりハードな部分を母が見ており、いろいろな話を聞きました。 そんな祖母が亡くなったあと、母が言ったのは「命を学ばせてもらった」でした。江原さんがよく話している言葉を聞いて、これまで選挙に行かなかったり、食べ物を粗末にしたり、「自分を大切にしない、今さえ良ければ良い」という積み重ねが、命と向き合う以前に死を選びやすい思考になるのかもしれないと思いました。
<江原からの回答>
奥迫:相談者さんがおっしゃるように、「安楽死」と「尊厳死」の違いを理解することがとても大切だと、私も思ったんです。私もはっきりは分かっていなかったんですよね。調べてきたのですが、「安楽死」は治癒の見込みがなくなった患者の希望によって、主治医が薬物などを用いて、死に至らしめる行為を指します。そして、「尊厳死」はこれ以上の治癒が難しいと考えられる患者が、自身の意思に基づいて延命治療をおこなわず死を迎えることを指します。 江原:ちなみに協子さんはどちらを選ばれます? 奥迫:私は、尊厳死したいですね。その前に「自分はこういう風になった場合には尊厳死を選びます」と、ちゃんと書いておく必要があるなと学ばせてもらいました。 江原:そうですね。「エンディングノート(終活ノート)」などは必要です。私も尊厳死希望なんです。余命という宣告を受けたら、緩和ケアをして、痛みとかはコントロールしたい。そのうえで、人に会ったり活動したり、できる限りのことをしていきたいなと思います。 私の母はがんで亡くなったのですが、手術をしても延命の希望がない……という段階だったら、(治療の継続によって)かえって苦しい思いをさせてしまうかもしれない。それならば、やはりクオリティ・オブ・ライフ、日常の充実さを最期まで……というほうが、私は大事だなと思っているんです。 奥迫:そう思いますね。自分の命が、どれほど大切なものなのか、毎日をどれだけ充実して生きたかというのを習慣つけていくというか、心に刻み込んでいくと、その辺が安楽死・尊厳死(の選び方)というのにも影響してくるんじゃないかなと思うんですよね。 江原:おっしゃる通りですね。私ももし最期だったら、なにも家族を苦しめたいとかは思いません。でも、語らうことができたりするうちは、私は話しておきたいし、それでも足りなければ、録画でも録音でもして残しておきたい。そうやっていつまでも対話ができるようにしたいなと思いますね。 「早くに去ったほうが面倒かけないし、それも愛なの」という人もいると思います。でも私は、違うと思うんです。灯り(あかり)を灯すのと一緒で、最期まで伝えたいこと・話したいことを伝える、ただ手を握るだけでも良いじゃないですか。それが「愛」です。相談者さんのお母さんが介護生活を経て「命を学ばせてもらった」と話しているのは、素晴らしいですね。そして相談者さんも床ずれ防止の寝返りをさせてあげたり、食事のお手伝いをしたりされていたのは、素晴らしいことですよ。やっぱり、愛が一番大切だなと思います。
●江原啓之 今夜の格言
「すべては“愛”です」