「荷物と一緒に横綱も姿を消して下さい」2003年大晦日最強のカード「曙太郎vs.ボブ・サップ」が決まった緊迫の24時間
白昼脱走
大相撲の世界には「出羽海一門」「二所ノ関一門」「時津風一門」「高砂一門」「伊勢ケ濱一門」と5つの一門がある。 一門とは5つしかなかった相撲部屋から力士が独立して、枝分かれしていく過程において出来上がった言わば寄合のようなものである。冠婚葬祭はもちろん、出世相撲や引退興行において、一門の協力、結束は不可欠である。稽古の機会は言うまでもなく多い。 高砂部屋出身の元関脇・高見山が現役を引退して東関部屋を興したのが1986年で、東関部屋も高砂一門に列なった。その東関部屋から横綱となった曙も、現役を退いて、近い将来、部屋を興すと見られていた。そうなった場合、高砂一門の末席に列なることになる。 高砂一門の合同稽古が開かれるというこの日、部屋付き親方である曙の役目はさほどもなく、他の先輩親方の陰に隠れて見学するくらいしかすることがない。 合同稽古は11月4日で「事を起こすにはこの日しかない」と思った谷川貞治は「東関部屋の宿舎には、どれくらいの私物があるんですか」と訊いた。 「服と資料くらいかなあ」 それを聞いて、谷川は極秘に引っ越し業者の手配を進めると同時に、曙に指示を出した。 「いいですか、荷物と一緒に横綱も姿を消して下さい」 「そのままですか」 「そうです。もし、携帯電話に連絡があっても絶対に出ないで下さい。そして、東京に向かって下さい」 このときの作戦を21年経った現在、谷川貞治は次のように明かす。 「宿舎が空っぽになるのが11月4日しかないわけです。それで、昼間に私物を業者の車に積んで東京まで運ぶ。同時に曙の身柄も福岡空港まで動かして、羽田行きの飛行機に乗せる。翌朝すぐ両国に直行させて、北の湖理事長に退職届を出す。とにかく、考える隙を与えないこととマスコミに情報が洩れないこと。失敗したら一巻の終わりだから、この日が一番緊張しました」 この日、曙は谷川の指示通りに動いた。宿舎が空っぽになったタイミングで私物を片付け、自身も姿を消すと、帰京して自宅に引っ込んだ。誰からの電話にも出なかった。 11 月5日、谷川は曙から連絡を受け取った。 「谷川さん、うまくいきました。退職届が受理されました」 「本当ですか、やった!」 それを聞いて、谷川は6日の会見場所を押さえて、マスコミ各社にリリースを送った。つまり、4日と5日の計画が少しでも狂えば、6日に「曙太郎対ボブ・サップ」の記者会見を行うことは不可能だったことになる。 かくして、マイク・タイソンの来日不可で、一度は死に体となったK-1だったが、電光石火のビッグアップセットで、再び息を吹き返したのである。 続きは<“夜逃げ”から2日後――ついに開かれた「大晦日・Dynamite!!」会見。曙参戦が世間に与えたインパクト>で公開中。
細田 昌志(総合作家)