楽器、オートバイ、産業ロボット……次々と世界ブランドを生み出すヤマハの「匠の精神」
それは山葉寅楠から始まった
「ヤマハ」という名前を知らない日本人はいないであろう。そして、世界にもその名は轟いている。 【写真】トヨタグループの研究~牽引力としての豊田通商、デンソー、豊田中央研究所 その歴史は、1887年に静岡県の浜松尋常小学校(現在の浜松市立元城小学校)で山葉寅楠(やまは・ とらくす)が米国製オルガンの修理を手がけたことに始まる。 寅楠はその経験を通じで構造を学び、翌1888年に日本最初の本格的オルガンの製造に成功したのだ。そして1897年に「日本楽器製造株式会社」を設立して初代社長に就任。ピアノの製造を皮切りに、楽器事業の礎を築いたのである。 ディールラボ 2020年8月20日「楽器メーカーの世界市場シェアの分析」によれば、1位 ヤマハ 23.9%、2位 ローランド 5.7%、3位 河合楽器製作所 5.5%と日本勢がトップスリーを独占しているが、その中でもヤマハは2位以下を大きく引き離すダントツ1位である。 ちなみに、日本でもよく知られている海外勢では、4位 フェンダー4.6%、5位 ギブソン4.5%、8位 スタンウェイ&サンズ 1.0%である。 今やトヨタ自動車が世界ナンバーワン自動車メーカーの地位を確立したが、ヤマハは以前から「世界ダントツ・ナンバーワン・楽器メーカー」ということだ。
飛行機のプロペラからオートバイへ
トヨタ自動車は豊田自動織機が1933年に設置した「自動車部」にルーツを持つ。その後自動車部を分離し、トヨタ自動車工業株式会社(現トヨタ自動車株式会社)を設立したのである。 同様に、楽器メーカーであったヤマハ(日本楽器)が1953年にオートバイのエンジンを試作した。その後まもなく1955年、オートバイ製造部門を日本楽器から分離独立させ、「ヤマハ発動機株式会社」が設立されている。 自動織機から自動車への転換は大胆だが、同じ「機械」でくくれる。だが、楽器とエンジンはかけ離れているようにも感じるだろう。 しかし、実は日本楽器(ヤマハ)は、飛行機のプロぺラを以前から製造していたのである。詳しくはヤマハ発動機HP「やまももの木は知っている ヤマハ発動機創立時代のうらばなし」を参照いただきたいが、かつて航空機のプロペラは木製が主流であった。つまり、その制作には高度な「木工技術」が要求されたのだ。ピアノを始めとする繊細な加工が要求される楽器のための木工技術が、プロペラ製造にも生かされたということである。 その後、満州事変の始まった1931年に、金属プロペラの製造が開始され、その金属加工技術が後の「エンジン」へと繋がる。 楽器とオートバイというとかけ離れているように思えるが、実はヤマハのオートバイ製造の「基本技術」は、楽器製造にルーツを持つのである。