わずか30年で多様性国家へ大変身…あらゆる人々との「共存」を目指す台湾の“ある合意”
コロナ禍において国民全員にマスクを配布するシステムをわずか3日で構築し、世界のグローバル思想家100人にも選出された若き天才オードリー・タン。自身もトランスジェンダーであるタン氏が、日本の若者に向けて格差やジェンダー、労働の問題からの「解放」をわかりやすく語る『自由への手紙』(オードリー・タン著)より抜粋してお届けする。 【漫画】刑務官が明かす…死刑囚が執行時に「アイマスク」を着用する衝撃の理由 『自由への手紙』連載第34回 『台湾は「多様性国家」なのに対立が起こらない…⁉その裏に隠された「地政学的」な理由』より続く
「見えない人たち」を見る目をもつ
国だけでなく企業においても、多様性が大切だとされています。 日本ではそのために「女性管理職の数を増やそう、LGBTQ+に配慮しよう、障がい者を受け入れよう」という取り組みもあると聞きます。 しかし「違い」というものはマイノリティと称される人々だけでなく、どこであろうと、どんな人であろうと、すでに存在しています。 仮に世界のどこかに、単一の人種、民族、文化、ジェンダー、年代の人たちが働く「一枚岩の会社」があったとして、そこでも違いがある人は必ず存在するものです。 それが見えやすいか、見えにくいか、ただそれだけの話です。 たとえば私が子どもの頃は、街を歩いていて車椅子に乗った人を見かけることはほとんどありませんでした。 当時の台湾人はみんな健脚で、車椅子の人がいなかったからではありません。戒厳令下の台湾は、体制に従うか抵抗するかのいずれかしかない社会。ユニバーサルデザインの概念などみじんもなく、公共インフラは車椅子の人に優しいものではありませんでした。 つまり、車椅子の人たちは、外出したくてもできなかったのです。
違いを認め合うことによる「変化」
嬉しいことに、この30年ほどで台湾は本当に変わってきました。 車椅子だけでなくさまざまな障がいがある、ニューロダイバーシティ(神経学的多様性)がある人々を、分け隔てなく、みな同じ市民として考えるようになりました。 ニューロダイバーシティ、つまり身体や精神の状態が多様な人たちを、台湾の街ではたくさん見かけます。これはごく普通のことであり、よりインクルーシブな社会へと変化している表れだと思います。 本当に多様性を求めるのなら、見えなくされている「違う人たち」を見なければなりません。 単一の文化など実は存在せず、仮にそうであっても、場所によって、世代の違いによって、違う人たちがいます。 さらに、人はみな一人ひとり独自の行動規則をもっているという「違う人」でもあります。 違いを認め合い、さまざまな要素が掛け合わさることで、私たちは物事をそれぞれ違った新しい角度から見るようになります。 見ることができれば、関心をもち、大切に思うのではないでしょうか。