「出店→1週間で閉店→また出店」…。“日本一アンチの多いラーメン屋”として知られるりゅう社長、界隈を騒然とさせた“撤退劇”の裏側を激白
「観光地で勝つためには“映え商品”にすることが大事です。そのためには写真を撮りたくなるラーメンに仕上げる必要がありました。色ではなくフォルムで見せられる商品作りは、これまでラーメン店がやってこなかった手法です。立体的に絵を見せられるのは『とびっこ東京』の強みだと思います」(りゅう社長) ■浅草と鎌倉で物件を契約も、浅草で大失敗 こうして「とびっこ東京」が出来上がった。「ラーメン」や「油そば」という名前がついているとお客さんが固定観念を持って食べに来るので、それを避けるために、今までになかった新しい食べ物ということで「とびっこ東京」と名付けた。「と」が2つ続く語呂がよくキャッチーな名前にした。
観光地で「とびっこ東京」を展開することは決まり、あとは物件を決めるだけという段階になった。2024年も残り半年になり、大きな挑戦をしようと、りゅう社長は7月に浅草と鎌倉の2つの物件を同時契約した。 浅草店を先に流行らせて、その後鎌倉に進出するというストーリーを描いていたりゅう社長は、8月25日に浅草に「とびっこ東京」の1号店をオープンした。準備万端で臨んだはずだったが、これが大失敗となる。 「浅草のごった返している人混みを見て、集客には全く困らないと思っていました。看板を出しておけば最低限の数のお客さんは来るだろうと高を括っていたのです。しかし、それは甘い考えでした」(りゅう社長)
古きよきものが愛される街・浅草に、今まで誰も見たことのないものを持ってきてしまったことで、「とびっこ東京」は誰にも見向きもされなかった。 インバウンドを意識して価格も高めの1000円に設定していた。全くお客さんが来ず、焦ったりゅう社長は呼び込みを開始した。しかし、浅草で呼び込みを行うことはタブーだった。外国人観光客が嫌がってしまい、むしろ逆効果になってしまうからである。 ここから得意のSNSなどデジタルでの集客を行ったが、周りの住民を無視した展開に集客が上向くことはなかった。