私にとって「夫・太田光」の存在ってなんなの?悩み始めたきっかけは義母の最期でした【太田光代さん連載】|STORY
お義母さんと私。どこか似ているから夫が甘えるのかも
ここぞという時にズバッと言うところは、お母さんと私、ちょっと似ているんです。30年以上も前ですが、太田と付き合い始めた頃に、私のことを自分の母親に似ているかもしれない、と彼も言っていました。そう、甘えてるの(笑)。 太田はいわゆる幸せな家庭に育った人。社長の息子さんで、私から見ると何不自由なく育っていて、お母様は家庭にいて主婦を頑張っていたような女性でした。そのお母さんが亡くなる数年前、本気かどうかわかりませんが「光は、私の育て方が悪かったのかしらね」と言っていたんです。 太田家はご親戚も明るい方々で、うちの夫だけ隅っこに一人でいて何もしゃべらない。そんな息子をお母様は、「あの子は人間観察してるのよ」と言っていたようですが、もう少し社会性を持たせるように育てればよかった、という思いは確かにあったのかもしれません。 特に晩年、ご自分の老後のことに関して「光に任せていたら、何も進まないから」「光代さんに一任するから決めて」と言っていました。それでも、嫁の立場からあちらのお母様の先のことに関することは聞きづらいし、タッチしにくいから夫に何度となく「お母様はこの先どうされたいのか、どういう意向なのか聞いてほしい」と頼むわけです。 でも絶対聞いてくれないの(笑)。 どうやら男の人って、自分の母親は大丈夫だと思っちゃうみたいなんですよ。 私のお友達でケアマネージャーをやっている人がいるんですが、母親を要介護認定する場合、女性は淡々と現実を見て受け入れて対応する。でも男性は「うちの母がそんなはずない」「大丈夫なはずだから」と認めたがらないケースが多いらしいです。お家に帰すのか、病院に留まらせるのかなどなど、決めなきゃいけない時にも優柔不断になってしまうんだとか。 お母さん方にしてみれば迷惑ですよ。「私、大丈夫じゃないわ」と思うでしょう。太田のお母様も強い方だから、骨折した時も病院でリハビリをして治ったんだけれど、2年後にもう片方の足も骨折。前の時のリハビリほど成果が出ない。 つかまっていないと歩けないし、自宅に戻って生活するのは無理だなとなった時、お母さんご本人はやっぱりスパッと言いました。「光代さんに一任しているのだから、早く決めて」 息子の太田にしてみれば、あの家はお父さんが作った家、お母さんの宝物のはず、と思い込んでいて。だからお母さんは家で暮らしたいはず!と考える。でも女の人はそんな頑固に生きてないんです。無理だと思ったら諦めるんですよ。それで「光に任せていたらいつまで経っても話が進まない」とおっしゃって、本格的に私に一任されました。 私たちの自宅の近所で、太田が帰りにも寄ったりできるような施設を何件かピックアップして見て回って決めました。 結局はその施設に長い間住むことなく、義母は81歳で亡くなってしまいました。最期は太田と一緒に音楽を聴いて過ごして、越路吹雪の「愛の讃歌」が終わったと同時に息を引き取りました。その時、私は海外にいて看取ってあげることができなかったのが心残りで、ずっと引っかかっていたんです。