三木孝浩監督が明かす『インサイド・ヘッド2』と青春映画作りの共通点「ネガティブな感情を大事に描いている」
日本公開を8月1日(木)に控えるディズニー&ピクサーの最新作『インサイド・ヘッド2』が、世界各国で驚異的な興行成績を記録し、あの『アナと雪の女王2』(19)を超えアニメーション映画史上世界No.1の歴史的快挙を達成した。前作『インサイド・ヘッド』(15)の時より少し成長した主人公の少女ライリーは、高校進学を控えて、複雑な感情の嵐に巻き込まれることに。これまで彼女の成長を見守ってきた5つの感情、ヨロコビ、カナシミ、ムカムカ、ビビリ、イカリに加えて、新たに脳内で生まれた4つの大人の感情たち、シンパイ、イイナー、ダリィ、ハズカシに翻弄されながら奮闘する姿が描かれる。 【写真を見る】「よめぼく」など青春&恋愛映画の匠、三木孝浩監督。その原点は「原田知世さん似の女の子に初恋を…」 MOVIE WALKER PRESSでは、映画監督や作家など、多種多様な分野で活躍する人々に、あらゆる視点から本作をひも解くレビュー連載を実施。繊細な年ごろの少年少女の葛藤を巧みに描く青春映画と言えばこの人、現在Netflixで独占配信中の『余命一年の僕が、余命半年の君と出会った話。』(24)などを手掛ける映画監督、三木孝浩に本作の見どころや真価を、作品の感想と共に語ってもらった。 ■「自分の感情をコントロールしようと、いろんなことに向き合っていくのが両作をとおして好きなところです」 『インサイド・ヘッド』も大好きだったという三木は、「ライリーの脳内で、自分を幸せにしようとひたむきに頑張るキャラクターたち、特にヨロコビの奮闘がすごく素敵でした」とその理由を挙げる。前作では、引っ越しという環境の変化で感情が不安定になってしまった11歳のライリーの脳内で、アクシデントにより司令部から放りだされてしまったヨロコビとカナシミの大冒険が描かれた。「どの感情もみんな頑張っていて、個性豊かなのですが、結局はそれらすべてを含めて1人の人間、つまりライリーという人なんですよね。彼女が自分の感情をコントロールしようとしながら、いろんなことに向き合っていくのが両作をとおしてとても好きなところです」。 本作を鑑賞した際は、思わず「さすが!」と膝を打ったそう。「実は前作の最後で、ライリーの成長に伴って司令部のコントロールパネルが工事されていたんですよ。“思春期ボタン”なるものが新たに設置されていて、『これには触らないでおこう』みたいな感じで終わったんです。アメリカン・ジョークか単なるネタかと思っていたら、それが本作につながっていたことにまず驚きました」と驚嘆する。「しかも新たに出てきたのがその年齢の“あるある”の感情たちばかりで、その新キャラクターたちのセレクトもスゴイと思いました」。 ところがライリーの脳内では、新規参入のシンパイが率先して、元からいたヨロコビたちを追い出しにかかる。その言動を三木は、「追い出すというより、いろんな感情が混じり合って一元的じゃなくなっていく、ということ。ヨロコビだけでもカナシミだけでもなく、そこにハズカシが混じったりシンパイが入り込んだり。異なる感情がぶつかり合って心がトラブルを起こしている。この年ごろって、どうしても感情と行動が一致しなかったり、なんで自分がそう思うのかがわからなかったり。そこに矛盾が生じて混乱する様が、滅茶苦茶リアルでした」と解説する。 ■「ネガティブな感情をなきものにせず、それも大事な自分の一部なんだよ、と見せてくれるのがすばらしい」 実際に三木自身も「子どものころは失敗なんて恐れなかったのに、いつの間にか心配や恐怖が大きくなって、“これやったら楽しそう!”と思っても動けなくなってしまうことがあった」と認める。自身がライリーぐらいの年ごろだった時を振り返り、「大きく分けると“ポジティブとネガティブの闘い”だった気がします。本作も詰まるところ“自分のネガティブな感情とどう向き合っていくか”という物語。そこでネガティブな感情をなきものにせず、ちゃんと自分の中にネガがある、それも大事な自分の一部なんだよ、と見せてくれるのがすばらしい」と、その描写こそが本作の醍醐味であり真価だと語る。 それを押しつけずに、楽しく見せてしまうのがピクサー作品の魅力でもあるのだが、「やっぱりストーリーのおもしろさをとことん追及しているからなんでしょうね」と分析する。「しかも“教えてやる”と上から目線じゃなく、“自分もそうだったけど、いつかそういう感情が大事になる日が来るから頑張れ!”というエール、子どもや若者への応援歌になっているというか。そこに愛がある」と付け加える。ほかのピクサー作品もすべて「不安定な子どもやマイノリティなど、社会的弱者に対する優しい眼差が根底に流れているところが、好きなんですよね」と語る。 もちろんいろんな感情たちに振り回され、“アチャー!”と言いたくなるライリーの言動は時に見ている観客側までつらくなってしまう。三木も「親友2人に『別の高校に行こうと思っている』と告白されたシーンはイタかった!でも、いろんなことを頭の中でグルグル考えちゃって、ある種の意趣返しみたいに、みんなで参加したアイスホッケーキャンプで、親友たちと距離を置き、先輩たちのイケてるグループに入ろうとする言動も、すごくわかる。ちょっと陰キャなライリーが、カースト上位を目指して無理して一生懸命に背伸びして頑張る姿も、なんか愛しくて好きです」と心を寄せる。 ■「僕はイイナーに支配されていましたね」 そんなイタい思い出や気持ちこそが糧になると、三木は自身の青春時代を思い返す。「それこそ僕はイイナーに支配されていましたね。カッコいい奴やイケてる奴に対する嫉妬や羨ましさ、悔しさ。もうルサンチマンで満たされてました(笑)。でも、あのころに感じたネガティブな感情を大事にしてきたからこそいまがある。モヤモヤしたイイナーを力に変えて来た、むしろイイナーを大事にしてきたと言えるかもしれない。自分はそうなれないと悟ったら、違うよさを見つけようとする。むしろ嫉妬が強いからこそ“こうなりたい”と行動に出られる。逆にそれがなかったら、クリエイティブなモチベーションは湧いてこなかったかも」と告白。 とはいえ青春ド真ん中にある時期は、混乱や悩みから脱する出口は見つけにくい。三木は「そんな時、僕は映画や小説や音楽との出会いで救われました。大林宣彦監督の映画を観たり、『ライ麦畑でつかまえて』を読んで、“同じ感覚の人がいる、作品がある”と知ることができたんです」と振り返る。「そういう出会いがなくてもこの映画があれば、自分の心や頭の中にあるトラブルは、なるほど、こういう仕組みだったのかと、非常にロジカルに飲み込みやすくしてくれる。実は僕の娘は前作を観た時は6歳でしたが、いまちょうど15歳で、ライリーとリンクし過ぎちゃって(笑)。親が“こうしたほうがいいよ”なんて言っても聞く耳を持たない時期ですが、心の処方箋みたいな本作は本当にありがたい。親子で観たい映画No.1ですね」と太鼓判を押す。 ■「“これはあの時の俺だ!”と自分の思い出とシンクロするようなシーンを作りたいんです」 前作のファンにとってはなじみ深い頭の中の世界だが、映像的な見どころについても語ってもらった。「前作でも心くすぐられましたが、本作にも3Dアニメーションに急に2Dのアニメが出てきたりして、その雑なポリゴン風の、ちょっとマットな感じのするキャラも大好きでした」と、遊び心にあふれる映像表現に再び魅せられたようだ。しかも「ピクサーのすばらしい技術ゆえでしょうが、すべてのキャラクターの表情が本当に豊か。例えばライリーの複雑な表情を見ているだけで、いまライリーの脳内でどの感情がどんな動きをしているのか、想像できるくらいに表現されているのは本当にスゴイ!」と手放しで褒め称える。 また青春映画を多数手掛けて来た旗手として、「本作にも通じますが、僕は常に“これはあなたの物語です”と自分事として捉えてもらえるといいなと思って作品を作ってきました」とこだわりを語る。「例えば恋愛映画でも、キャラクターが誰かを好きになった瞬間に、観客も同時にその相手を好きになってしまうカットを撮りたい。説明ではない物語づくり、画作りを目指しています」と明かしてくれる。「“これはあの時の俺だ!”と自分の思い出とシンクロするようなシーンを作りたいんです」。 それを可能にしているのは、「自分の“思い出ボール”を取りだして、それをベースにシーンを作っていく」から。そんな時も「ネガティブな感情を大事に描いています。というのも、例えば誰かを好きになると、不安や心配が膨らむものですよね。そのネガティブな感情とどう向き合うかを、僕はずっと恋愛映画の中で描いている気がします」と、本作のテーマと重なる自身の命題にも話は及んだ。そんな三木は「本作にあえて苦言を呈するなら、恋愛要素がなかったこと。この年ごろといえば、やっぱり恋愛は大事です!僕自身は恋愛ベースで思春期があったので(笑)。それはあるかもしれない続編に期待します。きっと“自己嫌悪”あたりの感情が新たに登場するのかな」とうれしそうに推測する。 最後に、三木自身のベースとなる“思い出ボール”を一つ取りだしてもらった。「小学2年生の時、人気アイドル女優だった原田知世さん似の女の子に初恋をしたんです。でも転校してしまって…。そうしたら中学の時に戻って来たんですよ。しかも同じクラスの隣の席になって」と出来すぎた運命のアシストが!「少女マンガが始まりそうなシチュエーションまでお膳立てされたのに、なにも起きなかった。なにも出来なかったその時の後悔が、いまのクリエイティブな欲求につながっています(笑)」。いま、三木監督作に胸がキュンとなるのは、そんな甘酸っぱい“思い出ボール”があったおかげかもしれない。ライリーの恋バナはお預けだが、本作から放たれるエールは若者のみならず観る人すべてを幸せに、そして背中を押してくれるはずだ。 取材・文/折田千鶴子