川嶋あい「自分の人生、不幸と思ったことない」
10月は里親月間。兵庫県明石市では「あかし里親100%プロジェクト」を掲げ、様々な取り組みを進めている。そんな中、広く市民に里親制度を周知する目的でこのほど同市の「あかし市民広場」で里親フォーラムが開催された。里親制度と国の取り組みの解説や、育ての親とともに苦難を乗り越えて歌手になったシンガーソングライターの川嶋あい(31)がトークショーやスペシャルライブで歌を披露するなど、会場は330人の来場者で埋め尽くされていた。 【動画と拡大写真】矢井田瞳「ギターで『ビビビッ』っときた感動が原点」
子どもたちが笑顔になれるような街を
挨拶に立った泉房穂明石市長は「(同プロジェクトは)街のみんなですべての子どもたちを応援することだと思います。ポイントは3つで、1つはすべての子どもたち、たった1人の子どもと言えども誰も見捨てない。すべての子どもたちが笑顔になれるような街をつくっていく。2つ目は街のみんなですべての子どもを支えていく。そして3つ目は本気です。本気度も重要だと思います」などと述べた。 里親と元里子のトークセッションに続き川嶋が登場。川嶋は実母が出産後に体調を崩し後に他界。乳児院、児童養護施設で幼少期を過ごし、その後は養女となった。10歳の頃に養父が、16歳の頃に養母が他界している。2003年に歌手デビュー。代表曲の1つ「旅立ちの日に…」は卒業ソングの定番となっている。
自分の出生の真実を知った時
川嶋はトークセッションで過去の自分の経験を振り返った。はじめて自分の出生の真実を知ったのが中学1年生くらい。母親に、家の金庫から「書類を取ってきて」と言われ、何気なくその金庫を開けて頼まれた書類を取った際に別の引き出しを見て、たくさんの書類を確認したという。 「その中にわたしの名前と自分の生年月日と、その上に母って書いてあって、知らない女の人の名前が記載されてあって。『えっ』と思って、そのまんまの勢いで母に『これはどういうこと?』って聞いて、そこで初めて教えてもらったんです」と振り返った。 さらに「施設にいたんだってことと『お父さんお母さんは実はいたんだ』って教えてくれたんですけど、あんまりその事実が自分の中に入って来なくて。目の前にいる母と血がつながってないってことが衝撃的すぎて、どうしても受け入れられなかったっていうのがありますね」とも話した。しかし、「自分の人生を不幸だと思ったことはないですね。むしろ幸せだった」と続けた。 川嶋は「明石こども大使」に任命され、任命式では「任命頂いてとても光栄です。明石の子どもたちが笑顔になるために一緒に考えていきたい」とした。また「大人たちを頼っていっぱい甘えられるような、そういう社会を目指して精一杯活動していけたらと思っています」とコメントし、卒業式ソングなど5曲をライブで披露していた。 (文責/フリーライター・北代靖典)