「被爆体験伝承こそ核戦争抑止」―ノーベル平和賞受賞の日本被団協
2024年のノーベル平和賞を受賞した日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)の役員が12日、東京都内で記者会見した。広島、長崎への原爆投下から来年で80年を迎える中、紛争地などでの核の脅威はいっそう強まっている。被爆者たちは「核による抑止ではなく、被爆体験伝承による戦争抑止が評価された」と受賞を喜ぶとともに、核なき世界の実現に向けて誓いを新たにした。
「素晴らしい判断」「核なき世界へ粘り強く」
「核兵器が使われるかもしれないという状況にあっても核が使われなかったのは、核による抑止ではなく、(被爆体験を伝えてきた)私たち被爆者の運動による抑止があったから。それを世界の人たちが理解してくれたと思う」。長崎で1歳の時に被爆した日本被団協の和田征子事務局次長は、ノーベル平和賞受賞の意義をこう強調した。 1945年8月6日午前8時15分に広島、8月9日午前11時2分に長崎――原子爆弾の爆心地の熱風は数千度にも達したと推定されている。 日本被団協は、広島や長崎で被爆した生存者らによる体験談を通じ、国内外で核廃絶を訴えてきた。ノルウェーにあるノーベル平和賞の選考委員会は、授賞の理由を「核兵器のない世界を実現するために努力し、核兵器が二度と使われてはならないと証言を行ってきた」と評した。 田中照巳代表委員は受賞について「素晴らしい判断をしてくださった。これから若い人に核兵器のことや、私たちがやってきたことを伝えていかないといけない中で、そのことを被団協は押さえて運動していると言っておられる気がする」「核戦争が起きるんじゃないかと思う中で、選考委員長は(核兵器を)本当に無くさなくてはいけないと感じてくれたかのかなと思う」と顔をほころばせて語った。また、これまで活動を続けてきた原動力について「原爆による惨状を目の当たりにして戦争をやるべきではない、原爆は使ってはならないと感じたことだ」と強調した。 広島からオンラインで参加した箕牧智之代表委員は68年に及ぶ運動を振り返り、「私たちの大先輩が(運動を)築き上げた、核なき世界へ諦めることない粘り強い活動。そういうことが受賞につながったのだろう」と、先人たちへの感謝の気持ちを込めた。 日本被団協は1956年結成。原爆の被害者による全国組織で、「原水爆禁止運動の促進」「原水爆犠牲者の国家補償」などを掲げ、世界に向けて核兵器廃絶や核実験禁止を訴え続けてきた。故山口仙二さんが日本被団協の代表委員として1982年の国連特別総会の演説で訴えた「ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・ナガサキ」というメッセージは、核廃絶へのスローガンにもなっている。