亀梨和也の今後の展望は“本当の自分”と向き合うこと「自分を取り戻したいなって思うようになった」
第17回「このミステリーがすごい!」大賞を受賞した倉井眉介による小説を映画化した『怪物の木こり』(12月1日公開)は、サイコパスvs連続殺人鬼を描く超刺激サスペンス。鬼才、三池崇史監督がメガホンをとり、目的のためなら他者の命を奪うこともいとわない冷酷な弁護士、二宮彰を亀梨和也が演じる。 【写真を見る】サイコパス度満点!亀梨和也が演じる表情すら変えず殺人を犯す弁護士 絵本「怪物の木こり」に登場する怪物の仮面を被った何者かが「脳を奪う」という、猟奇的な連続殺人事件が起こった。その標的となり負傷した二宮は、犯人がなぜ自分をねらったのかを突き止めるべく、協力者であるサイコパス脳外科医、杉谷(染谷将太)と共に動きだす。一方、プロファイラーの戸城(菜々緒)ら警察の捜査は、過去に起こったある殺人事件にたどり着く。 ■「僕は、“亀梨くん”に身体をお貸ししている感じ」 二宮という役について、亀梨は「せつない」という言葉で表現した。そして本作は、「知ることの怖さ」について改めて考える機会になったと振り返る。 「いまこうして座って話しているけど、実は僕の後ろが崖だとするじゃない?知らなければ普通にしていられるけど、振り返って気づいた瞬間、急に怖くなる。知ってしまうことの怖さってあるし、知らないほうがいいこともある。そういうことも考えました」。 「ネタバレになるからあんまり言えないけど」と冗談を沿えたが、「知ることの怖さ」とその賛否は、鑑賞後に誰もが思いを馳せる点であろう。 亀梨本人と二宮というキャラクターについて、三池監督が印象的な言葉を寄せた。「経験豊富なアーティストであり、俳優であり、そしてイメージを売るアイドルという仕事をしてきて、外に出れば街を歩いていても買い物をしていても“亀梨くん”でいないといけない。実際にそうやって生きてきた彼の強さが、今回の役柄に自然に発揮されている」。このコメントについて亀梨はこう語る。 「確かに、僕自身のパーソナルな部分が傷づいていたり、元気がなかったりしても、『いまは“亀梨くん”の時間だ』という場面においては、やっぱりそれは伏せなきゃいけない。いわば僕は、“亀梨くん”に身体をお貸ししている感じですよね」。 「僕はいま、“僕”じゃないですか」。そう言うとぱっと立ち上がり、言葉を続けた。 「僕の魂だけがここに立っていて、魂のない見てくれだけの僕がここに座っていたとする。“どっちが本当の俺か?”と考えたら、絶対に(立ち上がっている)こっちが“僕”なんですよ。そこにいるのは、肉体は亀梨和也だけど、“僕”じゃない。コンサートや舞台をやっている時、たまにそういう感覚に陥ることがあります。僕は確かにそこに立っているんだけど、心は(頭の横をぐるぐると指して)この辺にいる。自分を冷静に見ている誰かがいるんですよね」と、独特の感覚を明かした。“日常に潜むサイコパス”を演じるなかで、精神と肉体の共存、あるいは分離、何者かを演じて生きることについてなど、考えることも多かったという。 ■「本当の僕ならできないけど、“亀梨くん”としてならできることがあるんじゃないかな」 そんな彼自身、いつからか“亀梨くん”である時間が長くなった自分の人生について、迷い、悩んだ時期もあったとも振り返る。 「芸能生活25年、37歳、ある時から人生の半分以上が芸能人なんですよね。生きているなかで、“亀梨くん”としての時間のほうが長いんです。僕が生まれ育った家は決して裕福ではなかったし、6畳2間に家族6人、寝る時にはテーブルを片づけて布団を敷いて、家族みんなでゴロ寝をする。それが僕の本質だと思っていたのに、いまやキングサイズのベッドで寝て、ダイニングテーブルを買って(笑)、そういう時間のほうが、人生において長くなっているんです。昔は野球のグローブも買えなかったのに、いまは、家にいただきもののグローブが何十個と並んでいる。『僕ってなんなんだろう?でも、いまの僕ってこうなんだよね』と、すごく迷った時期がありました」。 とはいえ、“亀梨くん”である時間も決して偽りではないと言い切った。“亀梨くん”であることはいま、彼のなかで「常識というか、思考」なのだそうだ。それを、三池監督は「強さ」と評した。亀梨自身、それを強さと思うかと問うと、「うん」と、拍子抜けするほどけろっとした答えが返ってきた。 「だって、“亀梨くん”だったら基本、なんでもできますから。例えば僕は、高いところも嫌いだし、ジェットコースターも好きではないけど、うち(KAT-TUN)で言うとそれは中丸(雄一)くんのキャラだからそこは譲って(笑)。僕は『(簡単そうに)ああ、飛べますよ」という自分を作りあげていきました。“亀梨くん”でいる時は全然怖くないですもん。舞台からぴょんっと飛び降りるのも、実はめちゃくちゃ怖いんですよ?前日までは『嫌だな、嫌だな』って思うけど、いざドームに行ってスタッフさんがいる前に立てば、“亀梨くん”でいなきゃいけない。そうすると、不思議と怖さが軽減されていくんですよね。そういう強さはあると思います。本当の僕ならできないけど、“亀梨くん”としてならできることって、あるんじゃないかな」。 ■「僕自身よりは、誰かが楽しんでくれているとか、誰かを満たすことができているかのほうが大事」 時に迷いながら、時にその力を借りながら、“亀梨くん”で在り続けてきた彼。必要とあらば自身の本質を横に置き、自身の時間を削っても成すべき務めに全力を注ぐ姿勢は、役作りにおいても同じくだ。 「“僕”でいる時間を減らすほうがお芝居に集中できるんです。役作りという点で、本当のことを言えば、現場のみで生きていられるならそのほうが楽なんですよ。だけど僕は歌ったり踊ったり、スポーツニュースをやったりするから、その都度、役を出し入れしなきゃいけない。そうした生活のなかでなにを削るかといったら、“僕”自身の時間を削るしかないんですけど、そうするほうが楽だし、質が上がる感覚があります」。 なぜ、そこまでストイックに芝居と向き合えるのかを問いかけた瞬間、「ストイック」の言葉をさっと否定した。 「ストイックじゃないです、全然。ただ『足りていない』と思うだけ。僕は、自己肯定感がすごく低い人間なんです。いつも足りなさを感じて生きているから、『やんないと、やんないと、やんないと』って、やるしかない。それを努力だとは思わないです。いままで、『これでいいよね、十分やったな」と思えたことがほとんどないんです。なにをやっても、どんな仕事をしても、終わった時には『もっとああだったな、こうだったな』って思います。そんなに楽しい人生じゃないですよ、きっと(笑)。でも、だから頑張れているんです」。 そんな亀梨も、作品をはじめ関わったものが世に出た時には、満足感を得られるという。彼の喜びや幸せの軸はいつも、自分自身ではなく観客であり、関わる人々にある。やはり、生粋のエンターテイナーだ。 「映画だけじゃなく、作品は関わる皆さんあっての総合演出。だから出来上がった時には『ああステキだな』『いいものに参加させてもらえたな』って思える。それは、すごく幸せなことだと思います。僕自身、僕の欲望よりは、誰かが楽しんでくれているとか、誰かを満たすことができているかのほうが大事だし、それでお仕事をさせてもらっている立場です。だから、現場レベルで一緒に仕事をさせてもらっている方、受け取ってくださる方たちに、満足していただけるものを作りたいんです」。 ■「いよいよ僕も僕のために、自分に向き合ってあげる時間を取り戻したい」 亀梨和也であるよりも“亀梨くん”である道を選び、自身の想いよりも周囲を慮って生きてきた亀梨。しかし現在、そんな自分を変えようという時期に差しかかっているのだという。そして本作との出会いが、彼の背中を後押しした。 「僕のなかにあった『こう言いたい、ああ言いたい』という気持ちは、デビューして間もなくなくなってしまって、それが自分の課題でもあったんです。だけど今年くらいから、自分を取り戻したいなって思うようになりました。自分はどうありたいのか、自分をどう見せたいのか…。そんな考えが邪魔だった時期が長かったんですよね。自分の想いや欲を伏せていたほうが、スムーズに事が運ぶ場合が多いグループだったから。だけど、いよいよ僕も僕のために、自分に向き合ってあげる時間を取り戻したいなって。そう思っていた時にこの作品に出会えたので、巡り合わせに感謝しています」。 サイコパス弁護士、二宮の過去に隠されたある秘密。それにかけて、こう結んだ。 「いつからか、僕も自分の頭の中になにかを埋め込んで生きてきた気がするけど、それをやっと壊せる時期に来たのかなって思います。それが、昨年末くらいからの僕のテーマ。デビューして間もなく意識のなかに埋め込んできた“なにか”を、そろそろ取り除こうかなという作業に入っています」。 自分のために生きたいと、新たなチャプターに進もうとしている亀梨。その背中を押した『怪物の木こり』は、いつか彼が自身のキャリアを振り返った時、きっと転機と呼べる作品となるはずだ。 取材・文/新亜希子