“恐ろしい存在”を演じさせたら韓国一 善も悪も表現できるファン・ジョンミンの“強さ”
映画『ソウルの春』やNetflix配信中の『クロス・ミッション』などに出演中のファン・ジョンミン。この2作を観るだけでも、まったく正反対の役を演じているが、これまでの作品も、ファン・ジョンミンという大きな存在感は変わらないのに、その役自体はさまざまである。 【写真】対北工作員の黒金星を演じていたファン・ジョンミン 彼が俳優のキャリアをスタートしたのは、1990年のイム・グォンテク監督作『将軍の息子』で、その後もイム・スンレ監督の『ワイキキ・ブラザーズ』(2001年)などに出演。この秋、デジタルリマスター版が公開される『シュリ』(1999年)にも、あるシーンに彼が出ているのに気づいた人も多いのではないだろうか。 2005年の『ユア・マイ・サンシャイン』では、チョン・ドヨンと夫婦を演じ、青龍映画賞主演男優賞に輝いた。 韓国では2000年代には、映画俳優がドラマに出ることは少なかったが、有名女優と平凡で冴えない郵便局員の格差カップルを描いた『アクシデンタル・カップル』で初めてドラマに出演した際には、「ドラマにファン・ジョンミンが出るなんて?」と驚いたことを覚えている。 個人的に忘れがたいのは、ホ・ジノ監督の『ハピネス』(2007年)という映画で演じた主人公の役であった。それまでは都会でナイトクラブを経営していた男が、事業に失敗し、肝硬変を患って田舎の療養所に行き、そこで純粋な患者と恋に堕ちるも、ふたたび元気になった男と女はすれ違うようになり……という物語で、都会の男性の身勝手さを演じていた姿が忘れられない。 しかし、一般的にファン・ジョンミンの今の活躍に繋がる転機となったのはなんといっても『新しき世界』(2013年)の中国系マフィアのチョンチョンという役だろう。イ・ジョンジェ演じる潜入捜査官との信頼と疑念といった複雑な感情を描いたこの作品には、何度観ても心を揺さぶられる。 もっとも、こうしたファン・ジョンミンと「韓国ノワール」の出会いは、『新しき世界』のパク・フンジョンが脚本を担当し、リュ・スンワンが監督を務めた『生き残るための3つの取引』(2011年)だろう。この映画では、元ヤクザや汚職検事と生き残りを賭けて争ううちに、刑事として善と悪の一線を越えてしまう姿を見事に演じていた。 この善と悪の一線を越えてしまい、何か恐ろしい存在となってしまった姿を演じられるのは、韓国でもファン・ジョンミンをおいてほかにはいないのではないかと思えるほどである。 そんな彼の「得体のしれない怖さ」を引き出したのが『アシュラ』(2016年)や『ソウルの春』(2023年)のキム・ソンス監督だろう。 『アシュラ』では、架空のアンナム市の悪徳市長のソンベを演じ、刑事のドギョン(チョン・ウソン)や検事のキム・チャイン(クァク・ドウォン)らを破滅においやった。どうにも倒せない巨悪の権化のようなソンベという存在を前にして、自分だって力がありこれだけの強い信念があるのだと示すために刑事ドギョンは「ガラスのコップをバリボリと食べた」のだ。 『ソウルの春』でも、チョン・ウソンの前にファン・ジョンミンは立ちはだかる。今度は、反逆者の暴走を食い止めたい高潔な軍人イ・テシン(チョン・ウソン)の前に現われた、新たな独裁者を狙うチョン・ドゥグァン保安司令官(ファン・ジョンミン)として。 2作品においてのチョン・ウソンとファン・ジョンミンの関係性は、構図としては似ているのだが、この映画でファン・ジョンミンに驚かされたのは、その体格の小ささである。『アシュラ』の市長・ソンベのときは、チョン・ウソンと同じくらいの体格で、大きな存在として見えていたのに、『ソウルの春』のときは、チョン・ウソンよりも一回りも二回りも小さく見えた。 実際にはチョン・ウソンは188センチ、ファン・ジョンミンは182センチと言われているが、その役の演じ方によって、ここまで印象を変えるのかと思わされた。もちろん、撮影の技術にもよるのだろうが、姿勢や動きなどからも、体格の違いが見えたし(実際のモデルもいる作品だけに、近づけたということもあるのだろうこともわかっている)、その存在感の違いによって、醸し出す「怖さ」にも違いが見えるようで興味深かった。 悪に繋がる「怖い」ファン・ジョンミンのことばかり書いてしまったが、Netflixで配信中の『クロス・ミッション』で演じた現在は主夫で、実は元情報司令部の特殊要員であったパク・ガンムのような、善良な市民としての「強さ」を体現できる人でもある。 特に『生き残るための3つの取引』でもタッグを組んだリュ・スンワン監督の『ベテラン』(2015年)では、ファン・ジョンミンの善良な強さが大いに引き出されていた。この映画で彼は、財閥企業に苦しめられたトラック運転手の事件を追う刑事ソ・ドチョルを演じた。手荒なことはするが、弱きものを助け、強い悪を許さないという勧善懲悪なキャラクターは、ド直球であるが、今こそ必要なヒーローであると思えた。続編が韓国で9月に公開される予定である。 善の強さを体現できるのは、先ごろ『密輸 1970』をヒットさせたリュ・スンワン監督の社会を見つめる目や、そこから生まれるぶれない倫理観と、ファン・ジョンミンのキャラクターが合致したところもあるのだろう。このコンビでこれからも『ベテラン』のシリーズを存続してほしい気持ちもあるし、早く日本でも観られる日が来ないのか、待ち遠しい日々を過ごしている。
西森路代