川崎憲次郎が語る関根潤三との1年 「笑顔でマウンドに来て、足を踏む...僕らは竹中直人と呼んでました(笑)」
微笑みの鬼軍曹~関根潤三伝証言者:川崎憲次郎(後編) 前編:関根潤三が川崎憲次郎に施した「英才教育」はこちら>> 【写真】美女揃い! スワローズ・ダンスチーム「Passion」厳選カット集(35枚) 【沢村栄治に会ったことがあるよ】 1989(平成元)年を最後に関根潤三はヤクルトスワローズを去った。一方の川崎憲次郎は、ルーキーイヤーを関根の下で過ごして飛躍のきっかけをつかみ、後任の野村克也の下でさらなる才能を開花させた。以来、関根と川崎は「評論家と選手」という関係となった。つまり、「監督と選手」としてのつき合いは、わずか1年しかない。その事実をあらためて問うと、「いや......」と、川崎は言った。 「いや......、たった1年間だけという気はしないですね。関根さんにはいろいろなことを教わったし、たくさんの思い出がありますから。たとえばね、あの人、優しそうに見えてものすごく怖いんです。よくギャオス(内藤)も言っているけど、打たれたり、ピンチをつくったりすると、関根さんは笑顔でマウンドにやってくる。でも、顔は笑っていても、テレビに映らない足元ではピッチャーの足を踏んだり、蹴ったりしているんです(笑)」 川崎から白い歯がこぼれる。 「......笑顔で『おまえさん、何、やってるんだい?』って言いながら、本当はすごく怒っている。だから僕たちは陰では、《竹中直人》って呼んでいましたから(笑)」 好々爺然とした関根ではあったが、当時のスワローズ選手たちからは「笑いながら怒る人」の持ちネタでブレイクした「竹中直人」と呼ばれていたのである。評論家となってからも、関根と川崎との交流は続いた。野球のことだけではなく、関根が歩んできた道のり、その来歴を聞いたことは何度もある。 「必ず戦時中の話からするんです。関根さんの本にも書いてありますが、青山で生まれたこと、父親が女性をつくって蒸発したこと、小遣い稼ぎのためにリヤカーを引いていたこと......。で、昔は銀座に住んでいたこともあって、きれいなお姉ちゃんを横にはべらして、そのまま次の日に試合に行った話だったり(笑)。あ、そうそう、忘れられないのが沢村栄治の思い出です......」 関根の自宅まで送っていく途中の車内のことだった。川崎は「関根さんは沢村栄治に会ったことがあるんですか?」と尋ねた。すると関根は「あるよ」と答えたという。