<春へ走れ・’21センバツ東播磨>/中 秋季県大会決勝で力み /兵庫
チーム初の8強入りを果たした県独自大会が閉幕した。その翌日、2年生主体の新チームが始動。ただ、課題は山積みだった。公式戦出場経験があるのは原正宗主将(2年)だけ。福村順一監督は「技術面は全て力不足」と、ゴロの捕球やリードの取り方など、基本から徹底した。 練習試合に当たって監督は「このユニホームでは絶対に負けたらあかんで」と、公式戦用ユニホームを着用させた。実戦経験の乏しさをカバーしたい、との思いからだ。普段は手を出さない高めの球もあえて振っていくよう指示し、選球眼を養わせた。 こうして迎えた秋季県大会。初戦の加古川西戦は、鈴木悠仁投手(同)が背番号1を背負っての初のマウンドだったが、硬くなることはなかった。練習の成果だった。柏原戦は六回から継投した鈴木投手が抑え、終盤の集中打で10―6で勝利。続く市尼崎戦は、鈴木投手には初めての中1日での登板で八回裏に三塁打を浴び、後続に四球を与えてしまった。だが「ここで投げ切らないとエースではない」と窮地をしのぎ、2-1で辛勝した。 その後の育英、長田戦は完封勝ちして波に乗った、はずだった。決勝で立ちはだかったのは、強豪・神戸国際大付。エースの脳裏には「初優勝」の3文字がちらついていた。「意識し過ぎて体に力が入った」と鈴木投手。他の選手も足が動かず、初回のミスから先制点を許し、反撃できないまま試合は終わった。 初出場の近畿大会1回戦の相手は、プロ注目の好投手を擁する市和歌山。速球対策として、近距離からのテニスボールを使ったトス打撃に取り組み、迎えた試合当日。五回裏1死二、三塁から島津知貴選手(同)の内野ゴロで熊谷海斗選手(同)が生還した。ここでも練習が生きた。島津選手はベンチの歓声を背中に受け、一塁を踏む前に思わずガッツポーズ。だが、次の回、先頭打者本塁打などを許して1―2で敗退した。鈴木投手は「簡単に打たれてしまった」。ロッカー室に引き揚げたナインは、力が及ばない悔しさに、誰もが涙を流した。 甲子園は遠のいた。だが、東播磨のグラウンドには近畿大会前と変わらず、練習に集中するナインの姿があった。「わずかでも可能性がある限り、選ばれるにふさわしいチームでなければならない」。敗退後の福村監督の訓示に対する選手たちの答えだった。【後藤奈緒】 〔神戸版〕