敵兵刺す絵や「ヘイタイゴッコ」で戦場に誘う 研究者が語る「本当は怖い」絵本の世界
幼い頃、どんな絵本が好きでしたか? ページをめくるごとに新しい世界が広がる体験は、忘れがたいもの。一方で、大人が読んでも深く考えさせられる作品もたくさんある。そんな奥深い絵本の世界を研究するのが、龍谷大短期大学部准教授の生駒幸子さん(53)。絵本をこよなく愛する生駒さんだが「絵本の内容も、戦争など時代の影響を強く受けているんです」とも指摘する。「本当は怖い」絵本の世界を案内してもらった。 【写真】生駒さんの関心を持つ絵本はこちら -研究室には、たくさんの絵本が並んでいますね。 「保育士や幼稚園教諭を目指している学生に教えているので、いつも講義では最初に絵本を読み聞かせるんです。子どもにとって、絵本の読み聞かせがどれだけ楽しいのか、改めて体験しないと思い出せないんですよね。子どもは文字が読めないので耳で聞いて、絵を手掛かりに物語を紡ぎます。その面白さをよみがえらせるのに、半年くらいかかります。でも絵本の力は年齢にかかわらず大きい。コロナ禍の期間にオンライン講義で読み聞かせをした際、『ページをめくる音で心が落ち着いた』と言ってくれる学生もいました」 -絵本から広がる楽しい世界は、誰にとっても大切なのかも知れませんね。 「でも、絵本は楽しい一方で怖い面もあるんです。大人が子どもに教えたいメッセージを込められますから。戦前の絵本のページを開くと、中国の戦場を舞台に、日本兵が血塗られた銃剣で敵兵を刺す絵があしらわれていることがあって驚きます。他にも『ヘイタイゴッコ』という絵本があり、題名から戦場へ誘う主題は明らかです」 -戦後になって、状況は変わったのでしょうか。 「そうですね。たとえば米国の絵本の翻訳に『ひとまねこざる』があります。現在は『おさるのジョージ』というアニメのキャラクター名の方が有名かもしれません。1954年に初めて翻訳されましたが、日本の絵本観を変えた作品の一つと言われます。この中では、主人公の猿のジョージが鍵を盗んで動物園を抜け出したり、落書きを部屋に描いたりします。自由でのびのびとした子どもの世界が描かれていました。戦前の教訓めいたストーリーとはずいぶん違います。本当はこれが子どもの世界のはずなのですが、戦中は封印されていたんですね」 -絵本の場合、文字情報だけで作品を立ち上げる小説などの翻訳とは違う苦労がありそうですね。 「『ひとまねこざる』の翻訳では、原書の絵の左右を反転させて印刷していました。当時、日本語の絵本は縦書きが主流でしたから、英語の絵本とはページをめくる向きが反対です。『ひとまねこざる』も翻訳は縦書きにしたため、物語が進む向きに合わせて絵も組み換えたんです。そこまでしたのは一部の作品に限られました。その意味でも『ひとまねこざる』は画期的でした」 -なかなか気づきにくい工夫です。 「そのほか、当時はスパゲティを『うどん』と訳しています。戦後間もない頃の日本には、スパゲティなんてなかったですからね。うどんと訳すか、そばと訳すか。翻訳に携わった関係者で真剣に議論したといいます」 -苦労を重ねながら、絵本の世界に新しい風を吹き込んだんですね。 「ただ戦後日本でも連合国軍総司令部(GHQ)による検閲が行われ、アメリカ文化の浸透につながる内容の絵本の翻訳が誘導されました。民主主義を押しつけるような形であり、制度としてはいびつです」 -絵本の世界の怖さが伝わってきます。 「とはいえ、絵本を研究している人ってそんなに多くはないんです。研究の盛んな漫画とは対照的です。でも絵本の出版背景を調べていると、どんどん知らなかったことにぶつかります。私は子育て真っ最中に大学院生として『ひとまねこざる』の研究を始めました。そこから戦前、占領期と絵本の出版状況について関心が深まっていきました。絵本は、多くの人が接する芸術作品。だからこそまだ研究するべきことはたくさんあります」