【GQ読書案内】幼い頃の記憶を呼び覚ます、生命力を感じる美しい3冊
純粋な記憶を丁寧に紡ぎなおす試み
『ブルターニュの歌』(著=ル・クレジオ、訳=中地義和、作品社) 『ブルターニュの歌』は、フランス出身のノーベル文学賞作家ル・クレジオさんが、幼少期の思い出をつづった2篇の自伝的エッセイを収録した一冊だ。いずれも80歳を目前に、遠い過去を振り返りながら書かれたものだが、その内容は対照的である。 表題の「ブルターニュの歌」は、著者が8歳から14歳まで、毎年家族と夏のバカンスに訪れたブルターニュでの記憶である。「どこよりもたくさんの感動と思い出をもたらしてくれた土地」で、岬まで続く砂利の混じった長い道、質素なブルターニュ風の家屋、水の色や匂い、土地の人々との交流、そしてかつてこの地で使われていたブルトン語。かつてこの地に暮らしていた人とのつながりにまで想いを馳せる。一方の「子供と戦争」は、著者が5歳までニースで経験した、忘れがたい第二次世界大戦の疎開の記憶だ。「戦時中に生まれた者は、真に子供でいることができない」「どこにいても自分の場所という感じがしなかった」 本書の読み心地は、とても重厚だ。それは著者が、幼い心に深く刻まれた体験の回想録でありながらも、一方で脆弱で容易に書き換えられてしまう記憶や、安易な郷愁に対してとても慎重な態度で言葉を紡いでいるからだろう。しかしそれは同時に、言葉や知識を身につける前の、純粋なおそれや驚き、憤怒の強烈な感情や、物事に対する純粋な印象を改竄することなく描き伝えようという姿勢でもある。どこか神秘的で深みのある追憶の旅に、真摯に向き合いたい。
むかし、私たちは木だったのだ
長田弘『人はかつて樹だった』(みすず書房) 最後に紹介するのは、詩人の長田弘さんの『人はかつて樹だった』という詩集だ。2006年に刊行されたものだが、この4月に復刊された。私たちを取り囲む自然や風景、季節や気候の移り変わりを描いた21篇の詩が収録されている。これらの詩は、思いがけずがんの告知を受けた妻のそばに、まさに樹木のように寄り添う暮らしの中から生まれたという。 はるかに長い時間、同じ場所に立ち続け世界を見つめる樹木のありさまと、日々の暮らしの一シーンにさりげなくある緑。樹木とは、まさに遠い昔の景色と現在の暮らしという異なる時間をつなぐものだ。長田さんは「ひとの日常の中心には、いまここに在ることの原初の記憶がひそんでいる。たたずまう樹が思いださせるのは、その原初の記憶なのだ。人はかつて樹だった。だが、今日もはや、人は根のない木か、伐られた木か、さもなければ流木のような存在でしかなくなっているのではないだろうか」と記す。 「私たちはすっかり忘れているのだ。 むかし、私たちは木だったのだ。」身近な樹を想うことで、私たちは本当は知り得ないはずの世界のはじまりを感じることができる。詩を通して、生きものとして組み込まれた太鼓の記憶が呼び起こされるような、不思議な体験を味わってほしい。