鉄道事業者がバス事業を運営!! 省営バス(国鉄バス)の誕生と関東省営バス(JRバス関東)発祥の地を訪ねる
■国鉄バスOBのお2人に伺った往時のバス事情
やがて「連絡が取れましたのでここでお待ちください」と言われ待合室で待っていると、驚いたことに20分も経たないうちにお2人の男性が資料や写真集を持って駆けつけてくれたのである。 早速近くのコミュニティーセンターのロビーに場所を移し、話を伺うことにした。お2人は館山支店で働いてこられたOBの小谷勝蔵さん(以下小谷さん)と鈴木政和(以下鈴木さん)であった。小谷さんは国鉄に入社した当時は、新宿の貨物自動車営業所に配属され、トラックの助手をしていたという。 冒頭で述べた省営バス岡多線は、開業当初から旅客輸送とともに手荷物や小荷物、郵便物や貨物の運送を行っていた。 これは省営バス創業時に提唱された「総合輸送」という経営理念によるもので、「バスは旅客を輸送するのみにあらず、手荷物、小荷物、郵便物、及び貨物の5客体を運ぶ輸送機関である」という方針に基づいている。 このように省営バスは鉄道貨物の末端輸送や、近距離輸送をも担っていたのである。岡多線以降に開業した路線でもこの「総合輸送」という経営理念が守られてきたが、当時の貨物輸送はトラックのみならず、バスの車体後部に貨物を積めるように改造した、旅客・貨物合造車も運行していたという。 この旅客・貨物合造車は新聞輸送にも使われ、深夜に荷電代行輸送としても運用された。館山から回送して両国へ向かい、国鉄両国自動車営業所で新聞を積み込むと、千葉県各所で新聞を降ろしながら館山に戻ってきたという。 省営バスの貨物輸送の実像を探ることで、省営バスが担ってきた旅客輸送に加えた大きな役割を知ることができたが、小谷さんによると国鉄バス時代のトラック助手は、「車掌」という鉄道員と同じ赤い腕章を腕に巻いていたと懐かしそうに当時を振り返る。 この「車掌」の赤い腕章は鉄道員と同じ国鉄職員の一員としての証であり、誇りもあった。国鉄バスのつばめマークを背負って働いてきたという自負と、国営の公共交通の一翼を担ってきたという誇りは、退職した今でもしっかり胸に刻まれていたことを感じられた。