DeNA二軍チーフ投手コーチ・入来祐作が説くアナログの必要性「やることは昔と変わらない」
「華やかな世界ではありますが、そこで活躍できるのはひと握りの選手たちだけです。僕としては、そういった舞台でプレーさせてあげたいという思いがあるから、こういった立ち居振る舞いになってしまうんです。不甲斐ないピッチングが続けば、自分のよさを発揮できなければ、やりたくても野球を続けられなくなってしまう。今も昔も、解雇される時は一緒です。せっかくプロ野球選手になったんだから、華やかな世界を見てほしいし、そのために僕は厳しい環境設定をして、ピリッとさせることで、野球を仕事としてやれる時間を大事にしてもらえたらなって思うんです」 実感を込めて入来コーチは言った。 PL学園から亜細亜大学、本田技研、そして巨人に1位指名で入団するなど、エリート街道を歩んでいるように見える入来コーチだが、実際には幼い時から夢見てきたプロ野球選手になかなか手が届かず苦しんだ時期がある。 またプロになっても激しい競争にさらされ、順風満帆とはいかず、思うように活躍できない日々も過ごしてきている。だからこそ、若い選手たちには後悔しないプロ野球人生を歩んでほしいと考えている。 「後悔しないことっていうのはないとは思うんですけど、ああしておけばよかった、こうしておけばよかったって思いは節目節目に必ずあると思うんです。だからこそ、僕が後ろからケツを叩いて『頑張りなさい!』『もっと一生懸命やりなさい』ということで、少しでも減るのであればいいなと思いやっていますよ」 昭和の香りを残しながら、今の時代を嗅ぎとる熱血漢は、笑顔を見せそう語った。このプレーヤーファーストの想いに若き投手たちは今季、次々と応えていった──。 後編につづく>> 入来祐作(いりき・ゆうさく)/1972年8月13日、宮崎県出身。PL学園、亜細亜大、本田技研を経て、96年ドラフト1位で巨人に入団。97年にチーム最多の57試合に登板するなど、1年目から活躍。2001年は先発としてキャリアハイとなる13勝をマーク。03年オフ、トレードで日本ハムに移籍。06年にはメジャーを目指し渡米するも叶わず、07年10月に横浜のテストを受け合格。08年に中継ぎ要員として開幕一軍を果たすも、公式戦は3試合だけの登板に終わり、オフに戦力外を受け現役を引退。引退後はDeNAの打撃投手、用具係など裏方としてチームを支え、15年にソフトバンクの三軍コーチに就任。その後はソフトバンクの二軍コーチ、振興部などを務め、21年にオリックスの投手コーチ就任。今シーズン10年ぶりにDeNAに復帰し、二軍チーフ投手コーチとして選手の指導にあたっている
石塚隆●文 text by Ishizuka Takashi