【映画大賞】「30代になった時に続けていられる人でありたい」山田杏奈が語った真意/ロング版
山田杏奈(23)にとって、今回の助演女優賞は、新人賞ではない、大人の俳優に与えられる初めての賞だった。今回の受賞を機に「…私は映画が好きなんだな」と改めて感じたという、その思いを聞いた。(前編から続く) ◇ ◇ ◇ 日刊スポーツ映画大賞の選考会では、選考委員の間から「まなざしの強さ、素朴さ…(受賞対象となった『ゴールデンカムイ』『正体』の2作は)山田杏奈がいたから成立した。今後、日本映画を支える存在になっていくと感じた」との声も出た。そのことを伝えると「そういう(『正体』で目力を抑えた芝居をした)やり方ができたのかな? そうやっていったら、見てくれている人がいるんだと感じました」と笑みを浮かべた。その上で、映画とは自分にとって、どういうものかと投げかけた。山田はしばし、考えた末、静かに口を開いた。 「より1つのもの、完成に向けて全体で頑張っていこうという部分を強く感じ、私は、映画という作品の中の一部になれるんだなと、すごく思うし。芸術作品として(後世に)残っちゃうかも知れないって思うと、どうしようもなくワクワクしますね。自分が生きている証拠じゃないですか? なかなかない、面白い仕事だなと思います」 10歳だった11年に「ちゃおガールオーディション」でグランプリを獲得し、芸能界入りした。その時は、賞品のゲーム機「ニンテンドー3DS」に心引かれた、ごく普通の子供だった。ここまでのキャリアを、どう考えているかと聞くと、すぐに答えが返ってきた。 「気付けば、人生の半分以上…これだけの年数をやっていても『私、何でこの仕事をしているんだろう?』『何でテレビに出ている人になっているんだろう? みたいに、みんな、思わないのかな?』『もっと地に足が付いていなくて良いのかしら』とか、ふと思うことがあるんです」 芸能という、ある種、浮世離れした世界に身を置きながら、人間としての自らを一歩引いて見つめている。だからこそ、ここまで俳優を続けてこられたことについて、周囲への感謝の念も深い。 「運も良かったと思うし…いろいろな意味で。出会えた人のおかげ。10歳の時に始めて、辞めていく人も、いっぱいいた。だから、自分が今、やれているのって本当に幸運だなと思っているし。とか続けられていて、芝居の仕事は楽しいって、ずっと思い続けられているのも、幸運だと思う」 受賞を弾みに今後、どこまで突き進んでいくのか? と聞くと「ひとまず、30代になった時に、続けていられる人でありたい」と口にした。30代まで、あと6年…意外と近いところを、1つの節目と考えている裏には、15歳の時にマネジャーと交わした「30歳になって続けている人は少ないから」という言葉がある。 「30代まで、あとちょっとありますけど、そこまで続けていられること自体が、当たり前ではない仕事だと思うので、まずはこの世界に、い続けたい」。 そう、謙虚に口にした姿を見て、刹那に感じた「スクリーンで、ずっと見ていたい」という思いを言葉にして伝えると、こう答えた。 「ずっと見ていたいと、言ってもらえる人間でありたいというか。今、何か、ちょっと変だな、でも変わったなということを、人間的にでも楽しみにしてもらえる役者でいたい。自分自身も、人間的に膨らませたいです。『ゴールデンカムイ』の舞台あいさつで変わったって、言ってもらえるなんて思わなかったので」 これまで、どの舞台あいさつでも見たことがなかった、柔らかく、日の光のように温かい山田の笑みが、目の前にはあった。【村上幸将】 ◆山田杏奈(やまだ・あんな)2001年(平13)1月8日生まれ、埼玉県出身。11年「ちゃおガールオーディション」でグランプリを獲得し、芸能界入り。16年「TOO YOUNG TO DIE! 若くして死ぬ」で映画デビュー。19年「小さな恋のうた」でヨコハマ映画祭最優秀新人賞、23年「山女」でTAMA映画賞最優秀新進女優賞。特技は習字。159センチ、血液型A。 ◆ゴールデンカムイ 北海道で砂金採りに明け暮れていた杉元佐一(山■(■は崎の大が立の下の横棒なし)賢人)は、アイヌ民族から強奪された金塊の存在を知る。そんな時、ヒグマの襲撃を受けた杉元をアイヌの少女アシ■パ(山田)が救う。アシ■パも父親の敵を討つため、杉元と金塊を追う。 ◆正体 凶悪な殺人事件の容疑者として逮捕され、死刑判決を受けた鏑木(横浜流星)が脱走した。刑事・又貫(山田孝之)は鏑木が潜伏先で出会った舞(山田)らを取り調べるが、彼女らが語る鏑木は別人のようだった。顔や姿を変え、逃走を続ける真相を探る。