初の首位打者獲得 オリックス・頓宮裕真が明かした 「悩んでいた僕を救ってくれた先輩たちの金言」
Do my best swing 急成長を遂げて首位打者を獲得! リーグ3連覇の立て役者! 来年もやります「ほいさー!」
〈Do my best swing〉 オリックスの主砲・頓宮裕真(とんぐうゆうま)(27)のヘルメットには、そう記されている。今季レッドソックスへ移籍し、メジャーで活躍する吉田正尚(まさたか)(30)からの忠告を受けて刻んだ言葉だ。頓宮が話す。 オリックス・頓宮裕真が色紙につづった、来期の目標は……?【写真】 「正尚さんから『自分のスイングをすることが大切』と言ってもらったんです。他にもいろいろとアドバイスをいただきましたが、打席に向かう時に思い出せるよう、今年から登場曲を正尚さんが昨年まで使っていた『何かひとつ』(若旦那)に変えました」 今季、初の首位打者(打率.307)を獲得しチームのリーグ3連覇の立て役者となった頓宮。彼を変えた先輩たちの金言と、急成長の軌跡を本人に聞いた――。 頓宮が野球を始めたのは、小学校1年生の時だ。 「自宅の駐車場にネットを張り、父親と打撃練習をしていました。父親は社会人の軟式野球チームの投手だったんです。今も僕の試合を見続けてくれる父親には、感謝しかありません。スイングの感覚がしっくりくるまで、回数を決めずずっとバットを振っていましたね」 岡山県備前市の頓宮家の隣に、2歳下で後にオリックスのエースとなる山本由伸(25)が住んでいたのは有名な話だ。スポーツ誌『Number』の取材で、山本も〈ゆうま君(頓宮のこと)はずーっとバットを振っていた。毎日、とにかくずっと〉と振り返っている。 強打のキャッチャーとして、頓宮は地元の岡山理科大附属高へ進む。1年秋から「4番・捕手」として活躍し、卒業後は亜細亜大学へ進学する。だが……。 「入学直後に、狙い通りにボールが投げられないイップスになったんです。投手への返球も思うようにいかず、『もうボールを見たくない』『投げる動作を見るのも嫌』と思うほど苦しみました。 前を向かせてくれたのは、『人の上に立つ者は苦しめ』という(当時の亜大の)生田勉監督(57)の言葉でした。逃げたい気持ちを抑え自分のスローイング映像を何度もチェック。修正点を見つけ、1年近くかけてイップスを克服しました」 3年春の東都リーグでベストナインに選ばれ、4年生では主将となり日米大学野球の日本代表にも選出。’19年にドラフト2位でオリックスへ入団すると、日本ハムとの開幕戦で新人ながら「5番・三塁手」としてスタメンデビューする。しかし、ここでも逆境を味わう。 「経験したことのないサードでの起用は、打撃力を評価していただいての方針だと思います。僕は『打球を(自分の)大きい身体に当てて前に落とせばなんとかなるやろ』と軽く思っていました。でもプロの世界は甘くない。わけがわからないままエラーを繰り返しました。慣れない守備への不安は打撃にも影響し、徐々に自分を見失い二軍降格となったんです」