放送期間50年…お化け番組『中学生日記』、歴代の生徒役は5000人以上…『金八先生』誕生の“きっかけ”に
◇第33回「伝説の学園ドラマNHK『中学生日記』は名古屋発」その2 日本の学園ドラマで最長寿シリーズがNHK名古屋放送局でかつて制作されていた。2012年まで放送された「中学生日記」だ。1962年に「中学生次郎」としてスタートし、期間は実に50年に及んだ。名古屋の架空の中学校を舞台に、オーディションで選ばれた現役中学生らが生徒役で出演しており、数々の俳優も輩出した。(構成・鶴田真也) ◇ ◇ ◇
放送回数は前身番組を含めて1979回。テレビドラマ史にさんぜんと輝くお化け番組が存在した。NHK名古屋放送局で制作された「中学生日記」がそれだ。学園ドラマではTBS系の「3年B組金八先生」(1979~2011年)よりも長く、放送期間は50年に及ぶ。 「中学生日記」自体は1972~2012年に放送されたが、その前に前身となる番組があった。 名古屋放送局は1960年からローカル向けに「教育相談番組」を放送し、番組内で問題を理解しやすいように再現ドラマが作られていた。これが好評だったため、再現ドラマを独立する形で62年に「中学生次郎」の放送を開始。その後は「中学生時代」「高校生時代」「われら高校生」「中学生群像」とタイトルを変えて続けられた。
局内ではドラマというよりも教育番組に近い位置付けだった。74年から4年間、名古屋放送局でディレクターとして番組を担当した宇佐美義久さん(77)は「教育番組がルーツなので『今の時代に若い世代に何が起きているのか』をテーマに取材をしながらドラマを作っていた。とにかくディレクター1人が企画、取材、作家との打ち合わせ、演出まで放送回の全てを任される。それを5人で回していた」と話した。 当時の名古屋放送局はドラマ制作の拠点の一つで、帯ドラマとしてシリーズ放送されていた「銀河テレビ小説」や小中学生向けの「少年ドラマシリーズ」など全国放送のドラマの一部を手がけていた。が、中学生日記の制作グループは別個の存在。同じ制作部の中にドラマ班と、中学生日記など教育番組をつくる青少年教育班があった。 「ドラマ班はドラマをつくるプロだが、われわれは地方局時代からいろいろなものを作ってきた連中ばかりで“鬼っ子”みたいなもの。ノウハウも違うし、温度差はあった。ドラマ班からは素人のように見られていたかもしれないね」と苦笑いした。生徒役も名古屋や、その近郊に住む中高生からオーディションで募った。 最初はNHK総合テレビの30分番組で放送時間については2000年までは日曜午後1時過ぎから。その後は日曜朝の放送となり、03年に教育テレビ(現Eテレ)に移ってからは夜の時間帯に。時代によって放送する曜日も変動した。宇佐美さんは「担当していたころは日曜の午後1時5分開始だったので、外に遊びに出る子たちがどうしたら番組を見てくれるかで必死だった。でも、金八先生に対抗しようと夜に放送できないかという話もあったんですよ」と懐かしそうに語った。 ドラマの舞台は名古屋の架空の中学校で時代が古い順に「東南中」「名北中」「東桜中」。歴代の先生役を湯浅実(風間先生)、東野英心(東先生)、岡本富士太(南先生)、土門廣(春日先生)、いとうまい子(仲川先生)、竹本孝之(矢場先生)らが務めた。