岡豊城の読み方は?「姫」から「鬼」へ初陣で印象が一変した長宗我部元親
『その時歴史が動いた』や『連想ゲーム』などNHKの数々の人気番組で司会を務めた元NHK理事待遇アナウンサーの松平定知さんは、大の"城好き"で有名です。今回取り上げるのは、長宗我部元親の居城だった岡豊城。高知県南国(なんこく)市の岡豊城址は2008年に国史跡に指定されました。旗本の末裔で、NHK時代に「殿」の愛称で慕われた松平さんの妙趣に富んだ歴史のお話をお楽しみください。 【画像】岡豊城址がある高知県南国市の風景 土佐湾、縁切り寺、毘沙門の滝、才谷龍馬公園、トリム広場
「岡豊城」が読めなかった新人時代
私がNHKに入って最初に配属されたのが、高知放送局でした。気負った新人アナウンサーの最初のつまずきは、岡豊を「おこう」と読めなかったことです。ほかにも高知には独特の読み方をする地名があります。手結(てい)や百笑(どめき・どうめき)などなど。 長宗我部氏は鎌倉時代に信濃から土佐に移住し、この岡豊城を拠点にしました。ここは高知平野の北端に位置する要害の地。ただし、彼が土佐一国を平定したのは天正2(1574)年のこと。第21代当主・長宗我部元親が土佐国司の一条兼定を倒したことで、ついに実現します。
「一領具足」で動員兵力がアップ
それまでの土佐は、応仁の乱の影響もあって「土佐七雄」と呼ばれる群雄割拠の時代が続いていました。この七人の上に、国司として土佐一条氏が君臨していました。 土佐一条氏は、五摂家である一条氏の分家ですが、応仁の乱から土佐に逃れてこの地に土着し、戦国大名になります。同じように公家が武家となった例としては、飛騨の姉小路氏(あねこうじし)や、伊勢の北畠氏があります。 「土佐七雄」のひとりにすぎなかった長宗我部氏ですが、元親の父・国親が「一領具足」という制度を作ったことで、動員兵力が大きくアップします。一領具足とは、普段は農民である地侍たちが、いざ戦闘となれば即座に駆けつける組織のことで、槍の柄に兵糧や草鞋をくくって畦に立てておきながら、田畑を耕したことからそう呼ばれます。
幼少時は色白で「姫若子」とからかわれ
長宗我部元親は、天文7(1538)年、岡豊城で生まれました。幼少の頃は色白で、「姫若子(ひめわこ)」と揶揄されますが、初陣でその印象は一変します。長浜合戦と呼ばれる本山氏との戦いで、槍を手に突進して敵兵を突き崩したのです。勢いに乗った長宗我部軍は圧勝し、元親は「土佐の出来人」と賞賛され、敵からは「鬼若子(おにわこ)」と恐れられました。