<中日>”監督・谷繁”が”選手・谷繁”を外して初勝利!
代打オレは失敗
ちなみに、8回には、一死一、二塁で、「代打・オレ」の場面があった。実は「代打・オレ」の采配ではなく、ピッチャーに打順が回ってきたので、森ヘッドが「監督。いきますか!」と声をかけてきたという。谷繁兼任監督は、こういう場面こそ若い人で、と一度は遠慮しようと考えたそうだが、そのまま打席へ。結果は、最悪のセカンドへの併殺打。キャッチャー・谷繁は、監督・谷繁を最後まで助けてはくれなかったが、ポスト谷繁が、初勝利をプレゼントしてくれることになった。 谷繁兼任監督は、当初「130試合はキャッチャーとして出たい」と構想を語っていた。それには若手捕手に伸び悩みという切実な理由もあった。現在、松井雅と田中大輔という8年目の捕手がポスト谷繁を争っているが、キャッチャー・谷繁を押しのけるような捕手が出てくることを谷繁監督は期待している。 谷繁兼任監督は、監督の哲学として競争という言葉を何度も使っていた。 「若手がどうとか、ベテランがどうとか、世代交代とか、そんなものは関係ない。結果を出した力のあるものがポジションを奪っていく。僕はそういう野球をしていく」 1試合だけで判断はできないが、松井雅は、結果で、キャッチャー・谷繁との競争に一歩リードしたことになる。今後も、カブレラ専属のキャッチャーという形で松井雅にはチャンスを与えていく方向のようだ。 ヤクルトで兼任監督を務めた古田敦也も、監督就任の前年には96試合にマスクをかぶったが、監督初年度は、36試合に減った。やはり、近代野球において兼任監督は成立しにくい。谷繁兼任監督にとっては、キャッチャー・谷繁とスタメン表に書く機会が少ないほうがいいのか、多いほうがいいのか……。 とにかく、監督・谷繁は、競争至上主義の元、どちらなら勝てるのかという複雑でシビアな選択を迫られることになりそうである。