ガザでの医療活動 大量の負傷者搬送と病院側のシステム不全で処置を受けた患者が放置されるカオス
昨年10月7日、イスラム組織ハマスによる攻撃への報復として、イスラエルによるパレスチナ・ガザ地区への攻撃が始まって1年。いまも攻撃は続き、これまでに4万人を超える犠牲者が出ている。さらに、食糧不足や衛生面の悪化など人びとの生活状況は深刻だ。昨年10月の攻撃後に届いた派遣要請に応じ、11~12月にガザに入った国境なき医師団(MSF)日本の会長で救急医・麻酔科医の中嶋優子さんは、帰任後も取材や講演等で現地の状況を証言し、停戦を訴え続けている。当時の日記をもとに、全10回の連載で現地の状況を伝える。 【写真】ナセル病院に運び込まれる負傷した子ども * * * 11月18日に数回の「マス・カジュアリティ―(大量の負傷者発生)」を経験した翌朝、再びナセル病院に勤務に向かった。この日は救急救命室(ER)に患者さんが一気に押し寄せるほどではないが、心肺停止の患者や敗血症、パニック発作、心不全、腹水等々、内科系症例が多かった。ICU(集中治療室)でも患者さんたちを診た。新規に患者さんがきても、入院用のベッドが空いていないので、空くまで救急救命室でしばらく待つことを余儀なくされている患者さんばかりだ。 ---- 《11月19日の日記から》 今日は急に寒くなった。 病院に行ってERに行ったらなんかガラーンとしてた。昨日は18時に50人くらい患者さんがきたらしい。麻酔なしのアンプタ(四肢切断)とかしてたらしい。たくさん亡くなったらしい。 (略) いま、ERは15人体制×2交代制(24時間ずつ)らしい。インターンも結構いる。病院に住む者もいれば、避難所や家に帰る人もいる。子どもを連れてきて病院敷地内に住み着いている人もいる。 今雨すごい降ってて寒いし、外で寝てる人とか大変だなー😞 ---- イスラエル軍による攻撃では病院も標的となり、当時すでに、北部を中心に空爆を受けて機能しなくなった大きな病院も複数あった。勤めていた病院で医療行為ができなくなった医師たちは、まだ機能している南部の病院に移り、ボランティアで医療行為を続けていた。ナセル病院にも、北部から避難してきた医師たちがたくさんボランティアにきた。無給の医師や医療スタッフが大勢いた。 ガザ保健省のスタッフも、その頃すでに無給で働いているとも聞いた。そもそも、戦争状態になる以前から給料も、1カ月ではなく40日ごとだったり、貰うべき給料の40~50%程度だったりしたという。 ERでは研修医が多く働いており、現場のほとんどの症例を担っていた。頼もしかったがそんな彼らもたまに判断や手技に自信が無い時はある。そういう時はアドバイスを求められた。ちょっと嬉しかった。もちろん私は喜んで彼らにアドバイスやサポートもしていた。